本

『檸檬』

ホンとの本

『檸檬』
梶井基次郎
新潮文庫
\280
1967.12.

 名作「檸檬」を始め、梶井基次郎の短編を20集めた文庫である。私は京都にしばらく住んでいたので、京都の丸善を知っていた。つとに有名になったそれは、この梶井基次郎の作品で檸檬という爆弾を仕掛けられたからである。
 果たしてこれが小説だろうかと思えるようなものもある。小説ではないのかもしれない。ただの日記であるか、思いつきのエッセイのようなものであるか、文学に疎い私には判然としない。
 だが、文章の美しさについては唸ってしまう。自然描写の妙とでも言おうか、目に見えるものを伝えるために、なんとも美しく切ないものが届けられるのだ。もちろん一人称のその自身の心情がひしひしと伝わってくるというのはあるが、特にやはり自然や現象の表現に、私は心が揺すぶられる者である。
 梶井基次郎は、1901年に大阪で生まれた。巻末の「解説」がこの生涯をかなり詳しく紹介してくれているので頼りにできるのだが、文学青年であった。とくに漱石全集は、どこに何が書いてあるかが答えられるほどに読み込んでいたのだという。しかし、優秀な学生であった中、19歳にて肺尖カタルであることが判明。これが運命を変える。賀川豊彦の本を触れてキリスト教にも関心をもつが、しかし自分の命についての絶望からか、非常に生活が荒れる。学業はうまくいかなくなったが、結局東大に入学したのだからその才能は驚くべきものがある。
 当時は新たな文学者を迎え入れる雰囲気はなかったのだそうだ。すでに力のある有名な文学人が多数文壇で活躍していた。その中で梶井の作品が小林秀雄の批評で注目されてから、認められ始める。が、肺病は進み、同時に心の止んでいった。ついに東大を中途退学することとなり、転地静養するが、病状は快方に向かうというわけにはゆかず、31歳にて絶命する。
 この病を抱えた人生は、実生活においての苦しさともがき、そして退廃的なものの見方というものを、私たちからしてもやむなきものとして同情せざるをえないが、しかしそれを文章の中にある種の昇華という形で展開できたあたりは、やはり文学青年そのものであったといえるのだろう。常人が気づかないような、自然の中の息づかいを感じ取り、それを言葉により再現する。否、ある意味で再現というよりも梶井の中での現象として生まれたオリジナルな自然を、まさに創造したのだと言ったほうがよいかもしれない。
 それは人間の心の内面を見つめ、感じ取る上でも輝いている。自分の心と、どれほど対話をしただろう。自分というものを、どれほど長い時間、どれほど深くまで、見つめたことだろう。その故に紡がれた言葉がこれらの作品だとすると、まことに切ないものがある。
 そして、思えば私たちとて、その運命から逃れられる訳ではない。だったら、もっと私たちも自身の心に、また目の前に与えられた自然に、真摯な眼差しを注いで然るべきではないだろうか。私たちが鈍感なままで時間を無駄遣いしているならば、梶井基次郎からは、悲しい目で見つめられているかもしれない、というくらいに、それぞれの作品の中にこめられた、限られた時間と命への思いを、感じるべきなのだ。
 張りつめた、その世界との対峙の証を、ありがたく受け止めたい。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります