本

『ラテン語学校生』

ホンとの本

『ラテン語学校生』
ヘルマン・ヘッセ
高橋健二訳
新潮社・新潮世界文学36ヘッセ1より
1968.10.

 全集版を図書館で借りたとはいえ、限られた期間に全部読むのは難しい。これは、と思うものから開いていくことになるが、タイトルからして関心をもったのが、本作品だった。解説を見ると、ますます乗り気になった。『車輪の下』は神学校だったが、これはラテン語学校。一種の高等学校であるというが、ヘッセ自身、神学校の前段階でこうした学校を経験している。従って自身の経験を踏まえて描かれているものと思われるが、このような「春のめざめ」がどこまで作者自身のものと一致するのか、それは定かではない。けれども、こうした思いで女性を見つめ、またいくらか触れあった体験があったのではないかと想像することができそうである。
 主人公カールは、必ずしも優等生ではない。いや、苦手科目がないわけではないが、学業のほうはちゃんとやっている。ただ、下宿生としてカールは、下の店のものを無断拝借するという、スリルある小さな犯罪を繰り返していた。それが、独身で年齢もある程度いった女中に見つかる。カールは同情を惹くような嘘を言い、そのことで個人的に女中の世話を受けるようになる。
 周囲には女中という立場の若い女性がいろいろいる。が、あるとき街でちょっと通りがかりの女中をからかうようなことをしたが、起こったその金髪の娘は、振り向きざまにカールの頬をひっぱたいて逃げた。
 カールはその後無理に連れて行かれた婚礼の場で、その金髪の娘を見かける。相手はカールだと気づいていない。カールは声をかけ、まるで普通の男女の出会いのように、距離を縮めていく。カール少年は、ほんとうにこの娘に恋をしていく。が、娘のほうはどうしたものかと落ち着いた対応をとるのだった。
 ついにキスをしたいと申し出るが、ティーネというその娘は窘める。学生の分際でなにをどうしようというのか。生活を組み立てる見込みもなくて、恋愛も何もないものだ、と。そんなうやむやな関係の中で、ティーネは他の男性の求婚を受け、カールがまた迫ったときにそれをきちんと言う。
 カールは傷つくが、その後、ティーネの婚約者が事故に遭う。生きるか死ぬかという状態をなんとか抜け出したとき、カールは彼女の幸運を祈ることができるようになる。二人の愛を神聖なものと認め、自分もそのような愛を受けるような時がくることを願うのだった。
 切ない。実に切ない。子どもじみた学生の素朴な、好きという感情。しかし女性のほうは、それだけでは生活していけないことをちゃんと考えている。学生の身分で思う「好き」は、何か違うのだ。
 大学生のときに、この作品に出会っていたら、としみじみ思う。きっと人生が変わったことだろうと思う。私もこの純朴なお坊ちゃんと同じ土俵にいたからだ。なんだ、女性はそうなのか、と少しでもあのとき気づいていたら、きっと違う対応ができただろうし、彼女を傷つけず、また自分も傷つかずに済んだのではないかと思われるのだ。
 しかしまた、それも神の計らいであった。そこで傷つけたという思いがあったからこそ、神に出会えたのだとも言える。またひとつ、摂理というものを覚える。この作品が、それを教えてくれた、と言うことができるだろう。




Takapan
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