『最後の授業』
アルフォンス・ドーデ
平岡敦訳・ヨシタケシンスケ絵/理論社
\1300+
2024.3.
新しい「セレクション」を見た。アルフォンス・ドーデの短篇が16編集められている。全部で200頁余りであるから、平均13頁ほどの小品ばかりである。読みやすいので、細切れの時間にでも愉しめる。むしろ、一気にいろいろ読まないほうが、味わえるのではないかと思う。
19世紀フランスの、長閑な雰囲気が描かれている。いや、何かそれぞれ日常的で、しかしふと時を止めて、光に照らされた色彩がふと目の前に現れるような錯覚すら覚える文章だ。ひとの心の微妙な動きが細かく描写され、あまり深く考えさせることなく、物語の中に読者を誘い込み、導くようだ。
物語そのものの展開は、時に激しく、時に穏やか過ぎて、いまの物語は何だったのだろう、と思うこともある。一つひとつの派手な物語性があるとは言えないが、どこかしみじみとしたものを残すものである。
中には、とんでもない話もある。「黄金の脳味噌を持った男の話」である。脳が黄金だった。その脳をほじって、必要なときにいつでも換金できた。杜子春とアンパンマンとを重ねたような設定だが、お察しの通り、悲劇的な最期を迎える。ただ、物語の末尾に、付け加えなくてもよいような、語り手の声が載せられている。イソップ寓話の、無粋な教訓のようなものだ。そこにあるものをここでは明かさないが、ひとつにはドーデ自身のことなのであろう。また、読者の中でも思い当たる人がいるだろうから、その胸に刺さるような付加であると言えよう。
農村の風景や、切迫した遭難の中、あるいはいい加減なことが行われている教会もある。司祭のみっともない姿を描くものが幾つもあるのは、当時のフランスの教会によくあることだったのかもしれない。一途な恋心に突き進む若者もいるが、なかなか幸福感が得られない。暮らし向きのはかどらない庶民の悲哀も描かれていた。魔女というひとつの架空の設定があるが、その裁判において、魔女の陳述の中に、痛烈なエスプリが潜んでいる。ファンタジーを忘れた世界にあるのは、戦争でしかないのだろうか。
さて、本のタイトルになっている「最後の授業」は、やはりちょいと切ない。普仏戦争を背景にしていると思われるが、プロシア軍が攻めてくる。先生は、これからフランス語を教えることはできない、と生徒たちに説明する。場面としては、それだけの話である。だが、万感の思いをこめた先生の言葉を、少年は真正面から受け止めてゆく。先生の最後のフランス語の授業を、その胸に焼き付けておくかのように。
この件について、「訳者あとがき」が、適切な解説を加えている。舞台のアルザスという地についてだ。世界地理や歴史でも学ぶように、アルザス地方は、複雑な背景をもっている。ドイツとフランスの境にあり、豊かな鉄と石炭の産地であるこの地方は、両国の狭間で争われることが度々あった。そして1871年、普仏戦争でドイツ側に奪われるような形てなったのだが、それまでフランス領であった時代にも、ドイツ語の方言が使われるのが通例であったのだという。ただ、フランス人であるという意識があったわけで、だからこそ、フランス語の授業が必要だったのである。当時の人には当たり前だったこの背景を知らずに読むと、確かに大きな誤解をしてしまいそうである。
相変わらず、このシリーズをすべて担当している、ヨシタケシンスケ氏のイラストがいい。飄々としていて、その話の要点を、あるいはその話がもつ雰囲気を、よく表している。本の売り上げに貢献していることは確かだろう。本文にはふりがなも充実している。小学生の皆さんの読書にも対応できるので、小学校の先生方も、図書室や教室への取り入れを、お願いしたいものである。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド