『京都語源案内』
黒田正子
光村推古書院
\1680
2004.5
私が京都に長くいたせいかもしれない。実に面白い。
そもそも語源という、どこかミステリアスな探求、謎解きのような面白さが伴う営みであること、さらにそれらが日常語で誰もがよく知っているような言葉や現象から、この言葉は実は昔……と語られる、親近感と意外性との組み合わせがあることなど、人気が出そうな条件は十分備わっている。
それにしても、筆者の熱意がふんだんにそこにあるから、読むほうもそれに呼応してしまうのだろうと思う。
しかもそれらは、すべて京都に源があるという点で、マニアックである。専門の国語学者でもない筆者の熱意は、ただごとではない。
「やたら」「たんぽぽ」などがどうして京都に関係があるのか。「左前」の本当の意味や「山紫水明」の時刻があることなど、どこを開いても「へぇ〜」という言葉が漏れてくるような本である。「春はあけぼの」が、京の東山の稜線を染める朝焼けの色がなんとも雄大で美しいことを前提に読まなければ、なんの魅力も感じられない可能性があることなど、いろいろ教えられることが多かった。「束脩」というなんともよい響きの言葉に出会い、私はこれまでの人生を悔やんだりもした。
「会席」なのか「懐石」なのか。後者の原型が今どうなっているのか。「ひょうたんから駒」とは馬のこと。「うるさい」にまつわる、歴史的事件。「ひもじい」の元の「ひだるい」の響き。どうして「あした」は朝だったのに明日の字をそう読んだのか。「らちがあく」「やまやま」「けがれ」「あみだくじ」「桂むき」「小倉あん」「ねてもさめても」「急がば回れ」など、京都とその周辺で生まれた言葉の数々が、それぞれ短いエッセイと共に紹介されている。
なんとも雅な本である。最初から最後までドキドキわくわくした気持ちで読める本など、そうめったにあるはずがない。京都に関心のない方や、予備知識のまるでない方には読みづらいところがあるだろうが、これはちょっとした知的で風情のある言葉の本である。