本

『京都あちこち独り言ち』

ホンとの本

『京都あちこち独り言ち』
千宗室
淡交社
\1680
2009.10

 題の後半は「ひとりごち」と読ませている。裏千家第16代家元であるせいか、古い響きの美しい言葉が随所に光っている。幾多の文章を本にしているだけあって、文が巧い。そして、味わいがある。何より、特別な地位や役職からくる、独自の視点がある。京のはんなりした空気が漂ってくる、心地良い一冊である。
 適宜写真がページを占めている。その分文字が減るわけだが、いやその写真を見るだけで癒されるような写真ばかりである。この見事な幾多の写真が、この本の価値を高めているのは間違いないだろう。
 随筆、と言ってよいだろう。心に思うよしなしごとをそこはかとなく書き綴っているように見える。だが、そこに流れや意図がないというのは嘘になる。この本のひとつの特徴は、雑誌や新聞に連載されていた短文をまとめていくときに、その出典たる雑誌あるいは新聞毎に章立てられているということである。雑誌の中で与えられる空気とか風とかいうべきものを、できるだけこの本の中でも再現しようとしているように見えることである。まずは極めて私的な身の回りの感覚から始まり、また別の新聞では生活の中での教訓となりうるようなものが並べられ、最後には文化論の域にまで到達しようとする。この構成が光っている。
 教育などへも一つの意見がおありのようで、時折同じ主張が顔を出す。ただ、それが論理的に述べられているというわけではなく、やはり一つの感覚の中で風のように語られていく。また、著者の生活の姿や姿態にまで想像が届くような、細かな生活の描写が目立ち、色や香りを感じさせるような言葉の羅列となっているのが、また魅力であろうか。
 こういう言い方は語弊があるにしても、どこか女性的な魅力のある随筆となっている。論で押し切るような部分がないわけでなく、だからやはり女性から見れば男性的だと言われることだろうが、美しい描写や指摘には、女性のような細やかさを感じないではいられない。そこがまた、茶道の心とも言えるものなのかもしれない。主人の用意した一輪の花に心を覚えるのでなければ茶人は務まらない。ひとつの出会いの中に意味を見出すことが茶の心の一つでもあるだろう。ただ、それを言葉に直して伝えるにはやはり一つの技術が必要である。それを備えた著者に、何かしら「美」というものを感じないではいられない。
 たぶん著者自身の好みには合わないだろうが、私が読んでいて身を乗り出してしまったのは、ネットオークションの話。茶具のオークションにはなんとでたらめなものがまかり通っているか、熱心に見ては憤っているという話があった。そんなに気分を害するならば見ないでいればいいのに、とも思うが、何かしら責任のようなものがそうさせるのかもしれない。一目見れば偽物だと分かるということが、家元から語られているという現実は、もう少し広く知られていいことなのだろうという気がする。
 京都を詳しくご存じなくても、読むことは難しくない。また、ここからとりたてて教訓を得たり知恵を授かろうという思いも不要である。京の「はんなり」を感じてみたいときに、如何かと思う次第である。




Takapan
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