本

『教室の悪魔』

ホンとの本

『教室の悪魔』
山脇由貴子
ポプラ社
\924
2006.12

 いじめの問題を、東京都児童相談センターの心理司が説く。サブタイトルは《見えない「いじめ」を解決するために》と穏やかだが、タイトルの「教室の悪魔」は鮮烈である。そのためか、人目を惹いてよく読まれているそうである。
 いや、失礼な言い方である。中身が、よかった。
 私はこうした問題には素人の一人に過ぎない。だが、建前的なお偉方、つまり評論家や政治家などの発言には、辟易していた。中には、まさにその発言で多大ないじめをしているということに気づかない人もいるわけで、いじめに関するまかりまちがった話が、さも正しそうに誰かの利益になる仕組みの中を泳いでいるものだ、と絶望的になることすらあった。
 その私が、直感的に感じていたことが多々ある。それは、こうしたネットスペースでも折に触れ呟いてきた。また、陰ながら、悩んでいる子どもたちを応援する気持ちを抱きつつ言葉を編んできた。それが助けになったなどとは期待できないのだろうし、多分に私の言葉も、被害者を苦しめている部分が多いに違いない、と申し訳ないような気持ちで一杯だった。それでも、こんなでたらめな世間をのさばらしておくわけにはゆかない、という思いは、黙らせておくことはできなかった。現に私のそばの中学校が、てんででたらめなのだから。
 その私のスタンスに、たいへん近いものを、この本に感じたのである。
 最初が、あるケースの詳しい経緯。次が、様々なケースの断片的な実例。こう見てくると、悩んでいる人やその家族は、そのどれかに近いパターンを見出すことができそうである。
 それから、被害者が一人に対して、クラスの他の全員が加害者となる図式を明らかにする。これは、私が専ら感じていることと、そのまま一致する。
 事例や抽象的な議論ではなしに、著者は、この次に、実に具体的な実践ルールを提示する。親は、どうすればよいか。何をしてはならないか。これが、実に簡潔で分かりやすい。とくに、責任問題と解決問題との峻別については、何度も念を押してあり、そこが如何に陥りやすい罠であるかを教えてくれる。私もまさにその通りだと常々思っていた。いじめについてのアンケートを直ちに実施するなど、何の意味もなく加害をいっそう強くするばかりで、学校が対策をとりましたという勲章にしか利用できない最悪のことだということは、私も別の場所で記している。
 最後に、いじめに気づくチェックリストがあるが、これもまた実に具体的で実用的な観点である。「気づき」は、簡単なようで、難しい。気づきさえすれば、問題解決へ半分でも動くことができるのに、気づかないばかりに、ついに命を失うということにもなっている現実がある。「気づき」は簡単ではない。その「気づき」のために役立つリストなのである。
 石原慎太郎東京都知事が、いじめについて、2006年11月10日に、耳を疑うような発言をしているが、それは疑う必要もなく、本人が確信犯だからこそ言えることなのであった。いじめ問題について、都知事が、如何に無知であるかが、この本を一読すればはっきり分かる。さらに、都知事が、いじめの加害者本人であるということも、実に明確に浮かび上がってくる。いじめに無知でいじめる本人が音頭をとって行政を、つまりは教育をリードしているのであるから、いじめ問題は深刻である。刑事が犯人であるようなものである。
 たとえばまずこの本を開いて、一般の私たちも、被害者の苦しみを、その親ならずとも、共感することが求められてしかるべきではないだろうか。




Takapan
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