本

『京のわる口、ほめころし』

ホンとの本

『京のわる口、ほめころし』
石橋郁子
淡交社
\1680
2004.12

 いい本だった。よい本に巡り会えた。
 京都に十年以上暮らした身だからだろうか。書いてあることが、よく分かる。いや、分かるというより、見聞きしたとでも言うべきだろうか。
 京都に生まれ育った著者が、古き京都のしきたりや習慣などを題材に、そこに隠れた人の心というものを、見事に描ききった、秀作である。
 一見さんからぶぶ漬けの話、さきさ箒にいけず、地蔵盆、送り火など広く知られることから、京都に生活していなければ感じ取れないようなさまざまな暮らしの歳時記までが、一つ一つは4,5頁の中に収められていく。
 著者の母親並びに祖母の思い出を交え、自分の小さかったころのことを描き、そこに秘められた京に住む人の深い思いが、ここに表されている。それは、あとがきで自ら述べているように、著者の「個人的な経験や私情」でしかない。だが、だからこそ、それは飾りも嘘もない、真実であることが保証される。幾らかでもそこに暮らしたことがあれば、私のような者にでも、その真実さがずんずんと響いてくるのである。
 政治的には耐えず政権争いの中で生きてきた京。人々は、世の流れの顔色をうかがいつつ、どちらにつくべきかを見張ってきた。そのためには、一途な思い入れのような自分の心をあからさまに告げることは憚られた。そこには、勝ちこそないかもしれないが、負けのない生き方が要求される。京のビジネスは、近年その意味でも、注目されているのである。
 隣の家の前までは決して掃かないその生活ぶりは、冷たいのではなく、相手が借りを作ってしまったと思わせないための知恵であり、思いやりである。いけずとは、皮肉や嫌味の意味ではなくて、勝ちはしなくとも決して負けはしないのだという思いの現れである。
 筆者の、そんな感慨は、少なくとも私には、快く響く。京都の人々の生き方は、千年の都の中で、逞しく作られてきたものなのである。それはまた、日本の歴史として記述される様々な出来事や政変の中に、容易には見えてこない、人間の歴史として間違いなく刻みこまれているようなものではないかと、切に思う。
 京都のことをご存知の方こそ、心動かされるような、見事なエッセイである。




Takapan
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