本

『新版「苦しみ」から生まれるもの』

ホンとの本

『新版「苦しみ」から生まれるもの』
佐藤彰
いのちのことば社
\1300+
2007.4.

 私の入手したものは、新版第5刷で2012年と記されている。どうしてそこに注目するかというと、東日本大震災から1年後の刷に、著者紹介として被災と教会の閉鎖がきちんと書かれているからだ。
 福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰牧師というと、キリスト教世界では知らない人はいないほどである。福島の原子力発電所から一番近いところにあった教会である。避難のためその地を出て、流浪の旅に出たのである。
 その教会が被災する前に、この本が上梓されている。最初の発行は1991年10月である。これが12年で8刷を数えた後に、少し間を置いて新版となっている。この被災の時の記録のような本も、著書として紹介されている。
 まるで、こんな苦難を予言したかのように、本書は「苦しみ」をまずテーマとしている。教会の週報に毎週書き綴っていた短文を集めて選び編集してできたものであるという。信徒の魂を養うようなメッセージを載せてほしい、と頼まれ、若い時分から苦悩の中で書き始めたものである。十年分溜まった中から、いのちのことば社のスタッフが「逆境」のテーマの下に摘出したのだそうだ。だから、何も毎週「苦しみ」ばかり記したわけではないのだが、確かに目立っていたのであろう。それがまさか、原発事故の被害者としてさまようことになろうとは、その時には思っていなかったであろう。
 だが、もしかすると、これだけ苦しみに対して備えがあったということで、絶望的な中からも、奮い立って前を向くことができたのかもしれない。しかし他人がそんなことを軽々しく言うべきではない。自分では指一本触れることなしに負担を増やすような真似はしたくない。私たちは、神の言葉が「成る」のをここに見た。その言葉を私たちも備えておきたいではないか。
 再版にあたり、手を加えることも考えたが、やはり元のままということに決めたことも最初に書かれている。それが2008年。地震と原発事故から2年半前であった。
 短い文章が並べられた。テーマをいくぶん揃え、まずは「苦難の意味」。身近な例を挙げその背後にある福音や神の声を掲げ、意味を掘り下げる。黙想しているようなあとがそこに見られる。毎回、聖書から引くフレーズがいい。どれも聖書から、また聖書を通じて考え祈っているという形である。聖書を解釈しようとか、聖書を文献的に考察しようとかいうのでない。苦難の中にある人間が、どうやって希望を持つことができるか、歩き始めることができるか、ということが関心の的である。
 次は「ヨブ記から学ぶこと」として、ヨブが何らかの形で関わる黙想が置かれている。そして「絶望から始まること」「教会・奉仕」「信仰の姿勢」と、クリスチャンにとり大切なこと、共感を覚えられそうなテーマが続いていく。一つひとつは短いので、あまりにもさっさと読み進むともったいない。少しずつ、囓るように読んでその都度深く考える時間をもっては如何だろう。
 最後に「アラカルト」と題して、これまでのカテゴリーに収まれないような観点が紹介されている。形式的にはそれまで同じようなものなのだが、より具体的な体験のエピソードが増えるような印象を与える。そしてもっと具体的な情況が説明され、教会員皆で共有できそうな思い出話に関わるような実例と共に、紹介されるのが、最後のカテゴリー「足跡」である。
 どこから読んでも読める本ではあるが、私は目次順に味わってよいのではないかと思う。同じことをテーマにしても、同じ個人がどのように違う眼差しをもつことができるものなのか、考えさせられる。聖書の知識が増すかどうかは知らないが、自分ではどうすることもできないような事態に直面した場合、力となり命となるようなアプローチを読者に対してしてくれることだろう。時折また開いて、めくってみるのもいい。本当に苦しんで苦しんですがるように読むとまた感じ方が違うことだろうが、そんな深刻な状況に置かれていなくても、パラパラと開いてみたい気がする。そして、この文章を書いた牧師の教会が、福島の事故地域の真ん中にあったということに思いを馳せ、この「苦しみ」が神に祝福されていくことを切に願うものである。




Takapan
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