本

『心に狂いが生じるとき』

ホンとの本

『心に狂いが生じるとき』
岩波明
新潮社
\1470
2008.8

 精神科医の症例報告。サブタイトルは裏切らない。仮名を原則としながらも、事件報道されたものもあり、また仮名云々に関係なく、実に臨場感溢れるリポートありで、ドキドキしながら読んでいくようなことになる。この人はどんなふうな思いで毎日を生きているのだろうか、と考えると、ハラハラしてくる。自分もまたさほど変わりのない心でいるのではないだろうか、とも思えてくる。
 現代社会の中に起こりうる様々な立場から、ちょっとしたずれが心に起こったとき、それが増幅して大きな問題行動を起こしてしまう実例が、並べられていく。それは、いずれも悪意から故意にしていくものではない。また、劇的な原因や背景があるともいえない。そしてまた、必ずしもそれは小さなことともいえない。やがてそれが、誰かの命を奪うような結果につながることもあるのだし、本人がどうにも追い詰められ解決のつきにくい状況に陥ってしまうからである。
 しかし、そうした可能性は、予想外に多くの人にあるものだ、と本書は指摘する。かなりの割合で、そのような思いを抱く人がいるのだという。誰もが同じ空の下で生活しており、似たような境遇にある人もたくさんいるのだから、ここに挙げられたような事柄は決して例外的なものともいえないのだ。
 だからまた、そこから起こる犯罪についても、私たちはどう対処していくか、考えなければならない。法的な見解は今あるにしても、はたしてそれでよいのか。本書の執筆の動機の一つは、これから始まる裁判員制度である。精神的疾患に関わる裁判に市民が遭遇する可能性は、比較的高くなるだろうという。そのとき、どう判断していくべきなのか、その指針あるいは背景といったものを、理解してもらいたい、というのである。
 現状の精神鑑定にも、多くの問題がある。事件報道されたものについても、その鑑定そのものに問題があったり、鑑定の理解にも問題があったりする。私たちはしかし、裁判員となって、それを目の前にすることも十分ありうるのだ。
 それは、患者当人ならびに裁判員だけの問題ではない。誰がその人を患者にするのか。誰が患者を追い詰めていくのか。それは、市民のパッシングでもあるのだという。私は個人的に、この本の輝くところを、そのあたりに見つけたような気がしている。
「日本の社会が変化するには、政治や行政が変わる必要があるのはもちろんであるが、日本人自身の意識の変革が必要である」
 政治家や文豪の実例も挙げながら、人々が無邪気に、繊細な心の持ち主を苦しめていく様子も多彩に描いていく。それは、誰もがこの問題とは無関係ではないことを訴えている。ただ、そのことを殊更に強調していないようにも見えるので、はたしてその無邪気な加害者本人に伝わるのかどうか、そのあたりは私は分からないと言わざるをえないのであるが。




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