本

『「空気」を読んでも従わない』

ホンとの本

『「空気」を読んでも従わない』
鴻上尚史
岩波ジュニア新書893
\820+
2019.4.

 岩波ジュニア新書は、面白い。時に政治的な主張が気に入らない人もいるかとは思うが、若い世代に呼びかける内容は、大人としてできる精一杯の務めであるような気もする。そもそも岩波新書自体、高校生が読めるもの、という編集方針があるかと思うが、昨今ではなかなかそうはいかなくなっている。ジュニア新書は若い人々に特化したコンセプトがあるのはよいと思うが、逆にこれをアダルトが読むことを私は常々提唱している。きっと読みやすいし、またそれだけの価値がある、と。
 今回、作家・演出家という、人間観察を生業としているようなすぐれた眼差しから考察された、「空気を読む」ということについての提言である。副題に「生き苦しさからラクになる」とあるが、もちろん「息苦しさ」という言葉が本来の言葉である。しかし、現在息が苦しいというに留まらず、いじめや自殺につながりまさに生きることが苦しくなっていることへと警鐘を鳴らしている思いもあるのではないかと感じる。
 身近な問題、たとえばどうしてひとの頼みを断れないのか、といった体験を提示することで読者をまず引きいれる。このあと、ネタばらしのようになってしまうかと思うが、直に読むと本当に、うんうんと導かれていくので、ぜひ本書に触れてほしいと願いつつ、ポイントを挙げる。
 筆者は、「世間」という言葉をキーワードにする。私もこれは賛成だ。そして「社会」という概念と対比する。実のところそう簡単に割り切れて説明できるのかどうかは分からないと思うが、ここは学生相手に、鮮明に問題を捉えてもらおうという目的があるから、とやかく言う必要はない。日本にはびこるこの「世間」とは何だ、ということの解明に時間を費やす。逆に言うと、欧米にはこれがない。あるのは「社会」でしかない、という。その謎解きについては、実は最後までしばらくお楽しみということになっている。
 私たちの日本社会は、この「世間」というものがもたらすルールによって支配されている。それが暗黙の空気となって漂い支配しているというのだが、その「世間」のルールを、筆者なりに一つひとつ取り上げ、それに向き合っていく。この「世間」というものを自分が変えようといきり立つのはカッコイイかもしれないが、まず無理だし、現実的ではない。これとどう戦うか、筆者は巧みに説いていく。
 自分自身がどうであったかというエピソードが随所にあるのがいい。学生時代に校則と戦ったときのことなど、頼もしいものだが、しかし先生たちからすると扱いにくい生徒だっただろう。当時としては画期的な対抗であったように見受けられるのだが、そうした「世間」に馴染まない問題意識の持ち方、また生き方をしてきた著者からすると、ライフワークとしての持論をここで展開しているだけなのかもしれない。それくら、筋金の入った説明が本書には貫かれている。
 だからまた、アドバイスも具体的である。聞こえのよい美しい理論でまとめるようなことはない。実際にどのようにするか。しかしその背後にどのような信念や確信があるとよいのか。丁寧に語りかけていく。一段落が実に短い、いまふうの書き方なので、段落のまとまりとしては捉えにくいにしても、若い世代にはきっとこのほうが読みやすいだろうと思われる。そこまで配慮がなされているに違いない。
 もちろん、筆者の過去の出来事や考え方に引き寄せるのが目的ではない。新しいこのスマホの時代に実際どう「世間」というものと対抗していくのか、具体的な知恵が随所に鏤めてある。もちろんこの「世間」というのが何であるのか、本書からよく学び取って戴きたい。そして、ひとつの「世間」しかもたないことが、危機を与えるというふうなところに結論がもっていかれる。たとえば学校の教室しか居場所のない者にとっては、そこで仲間はずれにされたら生きていく場がなくなる。どうしてもその仲間に入れてもらわなければ生きていけないとなると、いじめられてもついていかなければならない。組織力の強い「世間」は、むしろ異端を見出し、敵や迫害の対象をつくることでその結束力を強める本能的な働きをもっているから、そこで弾かれるようなことになったら、逃げればよいのである。そのためには、もっと組織力の弱い、緩い「世間」に属することを心がける。この知恵は、分かりやすいと思う。難しいことではないと理解し、早速悩む人が具体的に考えてみたらよいひとつの道なのではないかと思う。もちろん、いじめの情況によってはそんなに簡単に解決するものではないだろうとは思うが、気づくべき意味はきっとあるだろう。
 そして、あまりに欧米の「社会」のみのあり方をよしとしているような書き方に見えるかもしれないが、どうして「世間」に煩わされずに自分の主張ができるのかどうかというあたりの謎解きが最後に控えている。これをバラしてしまうとこの本を手に取る方がいなくなるかもしれないから、控えようとは思うが、「世間」を否定することなく、しかし「世間」に支配されずに生きていくヒントが確かにあるものだと、本書は言っている。私は、キリスト教会にその要素があるというふうに、本書から読み取ることは何らこじつけでも曲解でもなく、当然のこととして受け取れると考えてならないのだが、それはまた本書をお読みになった方々からのレスポンスを期待したいところである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります