本

『小僧の神様・城の崎にて』

ホンとの本

『小僧の神様・城の崎にて』
志賀直哉
新潮文庫
\520+
1968.7.

 改版が2005年になされており、本書の価格は2019年の時点のものである。このコーナーでは、価格は私の手に入ったものという意味で、発行年は最初の時を基準にしているため、価格については殆ど目安にしかならないものとお考え戴きたい。
 さて、小説の神様とまで呼ばれた志賀直哉は、長編の醍醐味もさることながら、この軽い調子の短編もまたいい。というより、この大正期のものを集めた短編集にしては、実のところ古さというものを感じさせないものがある。言葉遣いにしても、話の展開とその描写にしても、非常に現代人にも馴染めるものではないかと思う。そのまま現代の小説ですよと紹介しても、さほど違和感がない、と言ってもよいくらいであった。少なくとも私にとっては。
 さて、本書を読もうと思った訳は、他者への愛というテーマの考察の中で、「小僧の神様」が例に取り上げられていたからであった。しかし私の場合には、いきなりそれを拾って読むのではなく、本書に集められた18編を順に読んでいくことを選んだからであった。これらは時代順に並べられており、志賀直哉の執筆の順のままに読む価値があるように思われたのである。
 ストーリーをここで紹介する訳にはゆかない。「小僧の神様」はやはり最後にしびれるような終わり方があるが、これも恐らく賛否両論あるだろう。こんな終わり方があるのか、効果的なのか、という問いかけも当然あってよいと思う。小説の語り手というものがちょいと顔を出すのは、黒子が顔を出すかのようなものであるが、好みにもよるのかもしれない。その他、自分の他の作品を、小説家が書いたものとして登場させるなどの粋な計らいも、順序よく読んでいないと分からない。まあ黙ってそのまま見ていけばよいと思う。
 身勝手な夫と、健気ではあってもどこか我の強い妻というような図式が随所に現れてくるのは、志賀直哉自身の何かがあるのかと思うが、女中との関係も、非常に生々しいものがある。そして、そのモチーフが幾度となく繰り返し登場するので、一定の場面からのインスピレーションというものもあるのではないかと思う。
 戯作として考えられていたかもしれないが、「転生」もまた面白かった。結末は途中から見えていたが、ひとつのお伽噺としての面白さは、結果が分かっていたとしても、楽しめる。
 心理を詳しく説明しないが、情景の描写がまた絶妙で、嫌味なくその場の空気を連れてくることができるのは、やはり達人ということなのだろうか。また、小説の結末が大団円でなければならないなどと言う人は今どきいないかもしれないが、ちょっと思わせぶりな最後や、ああこれからまた悩みは続くんだなとにおわせるような不安な終わり方など、ひとつ間違えるとみっともないものになりかねない終わり方が、非常に洒落ていると思った。テンポ良く進む流れと、互いの心理がまともに出ている中での取っ組み合いや、あるいは無視といったものが、非常に魅力を以て迫ってくる思いがした。
 男尊女卑の空気も感じられるが、どうにも馬鹿なのは男のほうだというふうにも描いており、妙な取り締まり精神さえ表に出さなければ、いまの若い人たちなどにも勧めることができるし、確かに面白いと感じてくれるのではないだろうか。
 短編の良さというものを、また思い出させてくれた。芥川龍之介はまた別格かもしれないが、短編の名手という人の作品は、触れてみたいものである。本書は、夫婦関係というものを考えさせるものも少なくない。まあ、こうはなりたくない、という見本も見つかるかもしれないけれども。




Takapan
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