本

『わが光太郎』

ホンとの本

『わが光太郎』
草野心平
講談社文芸文庫
\951+
1990.9.

 高村光太郎は、私の好きな詩人の一人である。戦争賛美を悔やみ、戦後は生き方を改めたけれども、それをも含めて、正直であり、またいつまでも青年のような眼差しをもって言葉を紡いだことに、共感を覚えるのである。
 他方、草野心平の詩は、私の心に食い入るもののひとつである。もちろんその蛙についての詩が大好きであり、●だけの詩には度肝を抜かされた。
 心平と光太郎との交流が、本書を生んだ。
 それはそれは、私的な交流である。生活の些細なことや、楽しい語らい、また智恵子との間の出来事にしても、また、後半は老いてゆく光太郎の姿を克明に綴る。それは痛々しいほどであるが、ファンにしてみれば喉から手が出るほど欲しい情報である。否、心平自身が、光太郎の熱烈な一ファンだったのだろうとしか思えない。それでいて、そばにいて言葉を交わしている。まことに羨ましいことである。
 光太郎をうたう詩から始まり、光太郎を様々な角度から紹介していく試み。宮沢賢治との関わりについても、貴重な資料であると言えそうである。実に私的な手紙も収めてあるが、さすがにこれはその背景事情がよく分からないので、何を言っているのかを覚るというところにまでは入り込めなかった。
 心平は光太郎のことを「高村さん」と記している。そのため、最初これは誰のことだろうと不思議に思う傾向が私にはあった。私の中に、光太郎の姓が高村であるという意識がなかったのだ。しかしこの礼儀正しい態度が、心平を側に置いておくこととつながるのではないかとも思われ、たいそう信頼があったことが窺える。
 晩年の様子も描かれていると先に述べたが、「終焉日記」には、光太郎の死に至る有様が刻まれている。昔は人の死を、このように見守りつつ、送っていたのだ。看護婦が側に付くといった様子は、今ではえらく恵まれた姿であると言えようかとも思うが、昔はもっと身近なことだったのかもしれない。私も、幼いころよく熱を出していたが、「往診」してもらっていた。今では考えられない処遇である。もちろん、裕福とは程遠い家庭だったので、これは特別なことではなかったはずである。
 心平自身の、光太郎に献げる詩などもあり、また出版事情の裏側をも時に垣間見るようなことがあるが、文芸人同士のこのようなつきあいは、小説の内容として描かれることは時にあるが、案外表に出て来ないような気がする。光太郎とくれば、戦争賛美から戦後は表から引っこんだというだけの、通り一遍の説明がなされるか、智恵子抄により、狂気の中の奥さんを愛していたんだろうと気の毒がられるか、そんなところなのかもしれないが、彫刻家としての光太郎と詩人としての光太郎とのバランスなども、本書の中に見所である。そして、人間として、言い訳めいたことを多く語るようなことをしない、寡黙な修道者をここに見るような気もしてくるのであった。
 本書は、読売文学賞を受賞しているという。文芸的にどれほど芸術的かというような観点からのものではあるまい。人間をこうまで敬愛しつつ、傍にいて描写できるものかと感動を呼ぶものではなかっただろうか。文学者が文学者を追跡して描くというのは、非常に味がある。その上で、友として生きた間柄であるというのは、読者としては実に有り難いことであった。読後、「人間」というものは何か、ずっしりとのしかかるような気がして、それ故にまた、肩の荷がふっと軽くなるような思いも与えてもらった。




Takapan
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