本

『高校入試 小論文・作文のオキテ55』

ホンとの本

『高校入試 小論文・作文のオキテ55』
安田浩幸
KADOKAWA
\1000+
2016.11.

 公立高校を中心に、作文を課すところが多くなった。それに特化した参考書は、実はあまり多くない。私は現場でそれを指導する立場になることがある。自分のスキルはもっているつもりだが、井の中の蛙になってはいけないので、いろいろな意見は聞くようにしている。それで、明るい雰囲気の本書を開いてみた。
 合言葉は「満点を取る」ことらしい。「満点メソッド」と自信たっぷりだ。
 だが、結論から言おう。本書は読むに値しない。これを読んで満点が取れる生徒は、五十人に一人いるかいないか、である。つまり、大部分の中学生には、役に立たない。あるいは、別の指導書を熱心にやった上で、余裕があればこれに目を通してもよいかもしれない、という程度である。
 何故か。これは「精神書」でしかないからである。
 すごく高度なことが要求されている。まずは、普通に言うならば「出題者の意図」を知れということから入る。大人が要求する、いうなれば良い子の考えを書け、ということが主軸のようだ。
 採点者が要求している内容を記せば満点だ、ということが本書の指導である。また、「問題解決能力」だとか「採点者の要求を上回る」とか、「具体と抽象」や「世界標準の型」などがひしめきあい、「好印象を抱かせる書き方」には「タイムスリップ法」や「親持ち出し法」など、ずいぶんといろいろな名前の作戦を並べてくる。これらを全部覚えられる生徒がいたら、その時点でもう天才である。
 こうた「大人」の視点で55もの法則を掲げられた中学生が、200字やそこらの作文にそれを生かし切れるのかどうか、極めて疑わしい。
 本書は、男子生徒と女子生徒とに塾教師がレクチャーする対話形式で進められていくものである。読みやすいとは言えるが、勉強嫌いな男子と真面目で良い子の女子という、よくあるパターンであることは咎めないにしても、テストはいつも20点(そんな生徒を私は知らない)、親に見つからないように捨てればいいと考えており、ゲームで5000円課金すればもっと勝てるのに、みたいなことばかり話すこの男子生徒が、こうした抽象的なレクチャーによって、満点の作文を書けるようになるのであれば、世の中を舐めているとしか言いようがない。彼は、勉強なんかしてないと当然のことのように吐き、先生の教え方が悪いとか、授業中寝てるとか、そんなことを言っている。一日5時間はスマホに熱中していることを咎められたら、夜11時以降はやめるよ、などとしぶしぶ言う。サッカー部では補欠だが、部員が11人しかいなくて一人ケガしたらアウトだと言っている。頭の悪い私にはこの部活のことが全く理解できない。
 入試作文の採点者が、本書の言うことばかり狙っているとは、私にはとうてい思えない。良い子の作文があったら満点だ、などということは、絶対にない。
 決定的なことを言わねばなるまい。本書は、文章の書き方については、なにひとつ教えてくれないのだ。一休みコラムみたいなところで、2箇所だけ、原稿用紙のルールと、話し言葉と書きことばの一覧があるのが、言葉について触れてあるすべてである。原稿用紙のこのような使い方を教えなければならないような中学生は、本書の内容とそぐわない。本書は、文章を書くことについては、申し分のない生徒が、余興に参考にしたい知恵ばかりが書かれてあるのである。
 実際に中学生に作文を書かせる。すると、誤字脱字は言うまでもなく、主語述語が合わないことがいくらでもある。その原因は、一文が長いからである。だから現場では、添削を重ねながら、幾度も、「たり」の使い方や、一文を短くしろなどということを、繰り返し繰り返し真っ赤に修正して、矯正していかなければならないのだ。これをしなくてよい生徒は、経験上、かなり優秀な成績の生徒たちの中で十人に一人くらいであろうか。
 本書で一つの頁に一覧表があるだけの、話し言葉の指摘も、とにかく添削という形で真っ赤に修正し続けていかないと、本人はそれが書く言葉としては不適切であることを認識しない。とくに手紙を書く経験がなく、ツイートのような短い感覚的な文以外にどれほど文章を日常的に書いているか知れない子どもたちは、言葉を文章にして、相手の立場から理解しやすいように書くということが、悲しいほどできない。作文の指導は、まずそこから入らねばならないのである。文章にする、というところに、まず高いハードルがある。それが現実なのである。20点のあの子に、このメソッドを教えれば模範的な文章が書ける、などというような、非現実的なストーリーが仕立ててある本書は、しょせんファンタジーに過ぎないのである。アニメを見れば恋愛がうまくできてデートだってばっちり、と勘違いするようなレベルを、まさか期待しているのか、と驚いてしまう。
 その一覧表には、とうてい誰も使わないであろう「マジ」や「うざい」まで挙がっているが、本書の高度な精神論を読んで理解するような生徒の中には、そのような世話をする必要は全くないはずである。また、そこに「校長」はだめで、「校長先生」でなければならないように書かれているが、なんだか小学生のようではないか、私は少々疑問に思う。役職名に「先生」をつける「校長先生」という表記は、本来適切ではないものと理解していた。作文だからとやかく言わないが。
 なお、この原稿用紙の使い方のところで、数字は漢数字を使うと説明し、算用数字の事例に×をつけて示しているが、本書の最後に「ばっちり」「すばらしい」と褒めそやした模範的な作文例の冒頭が「中3の夏休み」と算用数字になっているのは、いったいどういうわけだろう。意図が全く分からない。




Takapan
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