『後悔を活かす心理学』

『後悔を活かす心理学』
上市秀雄
中公新書2692
\960+
2022.4.

　この人あっての、この本だと驚く。序章からいきなり、自分の後悔についての思い出話が始まる。一つは、よくある話のようで安心していたら、二つ目は強烈だった。続いて、大学受験でどんな失敗と後悔を重ねたか、しみじみと書かれている。これは、読む方も辛い。当事者はもっと辛かっただろう。
　後悔の人生をたっぷり味わった人が、後悔の心理について解き明かす。これほど説得力のあるものもない。如何にしてそこから脱出するのか。それはどういう根拠に基づいているのか。たんなる体験談ではない。そこから学術的な方法に則って、研究を重ねたのである。
　サブタイトルが「成長と成功を導く意思決定と対処法」という、いわばまともな堅いものになっており、タイトルも、いくらか柔らかいとはいえ、心理学が中心にある印象を与えるから、実際手に取るまでは、この著者の波乱に満ちた体験を察する機会もないだろう。つまり、お堅い理論書ではないのだ。血の通う、温かな人間の心が生み出した、心のコントロールのひとつの可能性がここにあるのだ。
　後悔というものを知らないおとなはいないとしよう。そのとき、あれこれ考えることがあったはずだ。性格や経験の情況にもよるだろうが、いつまでもくよくよすることもあれば、あのときああすれば、と自分を許せないというような思いをずっと引きずっていることもあるだろう。簡単に忘れられない疵については、思い出させるなよ、と言いたい人も出てくるだろうし、自分の力ではどうしようもない事態に巻き込まれ、ただその対処について、まずかったかなと振り返る場合もあるだろう。
　思い当たるフシがある、という点で、本書に挙げられた実例や、分類された事態は、きっと多くの人の心に響くことだろう。もちろん私も響いた。
　だが、後悔することで成長できる。本書の救いの言葉だ。それを、学術的に捉えていこうとすることで、いくらか堅い話も続くが、読者はまさに学問としての心理学の世界に、首を突っ込んでいくことができるようになる。
　それでも、具体例がその都度示してあるので、おそらく納得しながら読み進めることができる。また、ビジネスの現場でも使われることを知り、逆に詐欺的な営みがどういう心理を突いてくるか、についてもアドバイスをくれるので、案外実用的だとも言える。
　後半は、後悔をしないために、というせめてもの可能性が追究される。これを呼んで後悔しなくなるのであれば、こんなに楽なことはない。実際に実行できるかどうかは別として、心理学的方法というのはどういうものか、楽しんでみるとよいだろうと思う。そのための資料めいたものは、かなり掲載されている。本文を読みながら、そのデータを細かく読み砕く読者がどのくらいいるかは知らないが、ゆっくりまた、そのフローチャートや、後悔への傾向を測るアンケートにも挑んでみるとよろしいだろう。
　後悔と一口に言っても、事態はケースバイケースであろう就職や転職にまつわる分岐点から、大学受験、いじめや不登校といった、とくに若い世代でよくある選択に関する事例もふんだんに綴られているのが親切である。というより、この大学受験については、著者の痛みが半端ない。いじめは特になかったと言いながら、けっこうその標的になっていたような様子が伝わってもくる。さらに不登校は、著者自身、高校でそれを体験し、それが引きずって大学受験に影響したようにも見えるから、深刻なテーマであったはずである。それが、まさに身を以て綴られているのだから、読者は心して味わわなければならないと思う。
　最後に並ぶ、「後悔回避、後悔対処のために必要な10の方法」は、ちょっとハウツー本的な企画のようであるし、言ってしまえば、当たり前に近いような抽象的な項目が並べられているだけだが、案外これは、書き出して張りだしておくと、ためになるかもしれない。家訓ではないが、自戒のような形で、目の前に掲げていたら、心のブレーキとアクセルの、ほどよいバランスが得られるのではないか、と期待してみたい。それが実際どういうものであるのか、それは本書をどうぞご覧戴きたい。自ら痛みをもつ著者の辿り着いた学術的結論でもあるのだから、なかなか味わいがあることは間違いない。
　そう「後悔を活かす」というタイトルが付いているのであった。失敗をよく探究して未来へ活かす「失敗学」がかつて提唱されていたが、これは極めて大切なことであると認識できる。
　キリスト教信仰も、罪を十分知り、悔いてこその喜びである。それのない信仰は、偽物である。語弊があるが、「罪を活かす」信仰の喜びとなるはずなのである。いや、キリストは、「罪人を生かす」ことをなさる方である、と言ったら、またうまくつながるものであろうか。