本

『幸福論』

ホンとの本

『幸福論』
三谷隆正
岩波文庫
\553+
1992.1.

 無教会キリスト者である著者の、遺作と言ってよいだろう。本書の出版を俟たずして、世を去った。まだ50代半ばであった。
 幸福とは何か。それを問う本である。
 「私は生れてから今日に至る迄、数えきれぬ幸福に与ると共に、また幾度か人が見て不幸と看做すような目にも会って来た」と、「まえがき」に記している。この言葉の深い意味は、武田清子氏による「解説」によって初めて分かる。できれば、この「解説」は、本文より先に読まない方がよいかと思う。私もまた、その内実については、ここでは語らないことにする。
 また、その「まえがき」は、「聖書なくして私のこの幸福論はあり得ないのである」と結ばれている。やはり、聖書の中にこそ、幸福というものが見えるのだ、という結論は揺るがない。だから、本書がギリシア哲学を中心にして、幸福論の歴史を説き、細かく検討しているにしても、そして幸福論一般の型などを比較して論じているにしても、やがて聖書の中に幸福を知るための道がある、というところへ流れてゆくのであり、これは聖書の宣伝のように見えても仕方がない作品となっているのは確かである。
 すでに第2章の終わり辺りから、「超越神」を表に掲げ、その後第3章からは、聖書の神とそれに対する人間の対応へとどんどん走ってゆくことになる。キリスト教倫理が専ら語られ、最後は生活レベルに視線を移すが、その底流にあるのはやはり聖書であり、神の恵みというものとなってゆく。自分の中に答えを探すのではなく、外から及ぶところに幸福を見出すしかないのである。
 幸福の秘訣は新生にある(p95)のであって、それは、ひとたび死して新に生れかわることである(p124)。その新生とは、旧き我を絶するものであり、一切の修養精進を絶するものである(p161)。
 こうして、幸福とは、地上においても天上においても、旺(さかん)なるいのちに充ち溢れることだという(p212)。新しきいのちの源に出会うて、新しく造り変えられることである(p228)。それは、哲学的反省や道徳的修練だけで、みずからたたかい取ることはできないものであり、ただ信仰により、超越的創造の主たる神の恩賜として、ただただ恩賜として受領するよりほかないものなのである(p229)。
 この部分を以て、本論は終わる。本書はその後に、死後21年にして発刊された全集を祝福するべく、南原繁・前田陽一。丸山真男・武田清子という錚々たるメンバーによる座談会が組まれており、40頁余り、読み応えのある内容となっている。ここにおいて、三谷隆正の生涯やそのエピソードがふんだんに語られる。多くの関係者の名前も現れ、優れた人々に囲まれ、優れた影響を互いに与え合ったことがよく伝わってくる。さらに、武田清子氏による「解説」が15頁にわたり綴られ、その身に起こった「不幸」を知ると涙を誘うものがあるが、それを踏まえての「幸福論」であったということが、いっそう心に染みてくる。
 さて、これはずいぶんとキリスト教寄りの「幸福論」であるには違いない。だから、一般教養として「幸福」について求めて手に取った読者にとっては、まるでキリスト教の勧誘のように思われるかもしれない、と思う。いまなら。
 そう、令和を掲げる時代に見たら、確かにそう思うはずである。だが、本書はいつ書かれたか。1944年であり、書き上げても校正刷りにさえ目を通す間もなく他界する。その1か月後の3月に、本書は初めて出版された。
 時代を想像してみるとお分かりの通り、敵性語の使用が禁止され、キリスト教は国賊のように看做されていた時代なのである。このときに、聖書の神にこそ幸福がある、と断ずることに、どれほどの勇気が必要だったか、私たちは見落としてしまいがちなのである。
 武田清子氏の「解説」には、このように記されている。このような「戦時下の緊迫する思想状況の中で、人間的生の意味を根本的に問う書物、まさに暗い谷間の時期の「良心の灯」ともいうべき書物であって、多くの若い人々に熟読された。」(p286)そしてこれは、「愛国、尊皇の道(天皇)への自己没却的献身を要請する戦時下の思想状況の中で決然と表明された毅然たる人間論である」(p288)とも言っている。
 正にこれは、「世の光」であったのではないか。いま私たちは、私たちの信仰は、そして教会は、「世の光」となっているだろうか。自らを問われているような気がしてならない。
 完全に余談なのだが、本書に時折「ゲーテの言葉」が突如出てくることがあった。『ゲーテはすべてを言った』が芥川賞を受賞して間もないときに本書を読んだため、ちょっとくすりと笑ってしまった。不謹慎かもしれないが。




Takapan
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