本

『"聖書読み"のコツ』

ホンとの本

『"聖書読み"のコツ』
河村従彦
いのちのことば社
\1400+
2015.7.

 聖書の読み方については、本が出まわっているほうである。しかし、大抵のものは、ややかたい。わざとではないのだが、何か「道を修める」ような雰囲気が漂う。もちろん、それが悪いというものではない。言いたいことは、本書がユニークである、ということである。
 必ずしも若手というわけではない。だが、文章は若々しい。自分が牧師となった経緯にあたり、てんでダメな歩みであった、ということが冒頭で告白されている。実際以上に悪く書いているかもしれない、とも思われるが、おそらくありのままと見てよいだろう。これを見ると、とんでもない人が牧師になったものだ、と読者が思いかねない。しかし、そこから、聖書をどのように読むのかという意識へ読者の心を向けていくあたり、なかなかの腕である。いつの間にか、著者のペースに入れられて、自然と、本書の主軸の議論に溶け込んでいく。
 なにより、表現が堅苦しくない。「ザクッと読み」といった、最近世間に拡がったと言ってもよいような言い方で、聖書の読み方についてアドバイスが入る。それから、「コミュニケーション」というのはどういうことか、と問いかけ、神のコミュニケーションが如何に成立するのか、しないのか、それを、テキストと意味という哲学的な内容でありながら、そうした用語を一切用いず、読者に理解させていく。神学院の院長でもあるというから、著者の喩えの力、あるいは引き寄せる話術というものも窺い知ることができよう。
 その「読み方」は、原語や原典を用いなくても大丈夫だという。これが、先のテキストと意味の議論により根拠付けられていくから、読者は不思議な気持ちを抱きながらも、うまく運ばれていくような心地を味わう。
 さらに、ユダヤの書式からすれば、そのメノラーに象徴されるごとく、中心部であろう、本書の全7章の中央である4章において、「聖書読みのコツ」という本筋が列挙される。この構成も、さすがである。それによると、「恵みの原則」「神イメージの原則」「立ち位置の原則」「人間観察の感性」「ユーモアの感性」「非連続性の原則」があるという。その内容についてはここで記すことは難しいが、たしかに言われてみれば、私も自然とやっているようなことがはっきり方法として立てられているような気がしてきて、驚きというよりも、むしろ馴染み良さを感じた。
 著者の手法は、一定の原理に基づき、原則を立てる。それを、実践において適用していくというものである。その原理そのものは、もしかすると体験的・帰納的に著者にもたらされたものかもしれない。だが、実際聖書を読むときに「使える」ものであることは間違いない。
 後半は、できるかぎりその解釈において具体的な事例を持ち出して、これまで明らかにしてきた原則を実際にどう使うか、示される。最終的には、山上の説教を連続して説き明かしていき、その意味するところ、読者が気づいて考えるとよい読み方というものが、まるで説教のように語られる。その際も、非常にフレンドリーに語りかける口調であり、ほんとうに話し言葉を聞いているかのような気さえしてくる。
 こうして、方法論が紹介されたようなものではあるが、著者は一定の教育的配慮を欠かさないでいるものと思われる。最後に、4章をもう一度読むように促す。それは、まさにこの中央が本書の要であるからであるが、そのからくりのようなものが、最後に改めて図示されている。聖書は、私たちが価値がないものである「のに」、神からのプレゼントを戴くという構成が根本的にあるのだと言っている。そこに「恵み」があり、受け取ることを「信仰」というと念を押す。
 こうして、聖書の読み方がユニークな形で紹介されるのであるが、やはりそこには、著者の隠れた意図がきちんとあるはずだ。つまり、聖書の意味を、耳で伝え聞いたようなことを鸚鵡返しに言えばいい、というものではなくて、自分で聖書の意味を感じるように促すということがこの本の生命線であろうが、それはまさに、読者が自ら個人的に、聖書を通じて神と出会うことにほかならない。誰かの受け売りではなく、権威者の解説に盲従するのではなく、その人自らが個人として神と向かい合うこと、神からのラブレターである聖書から神の声を聞くことである。
 繰り返すが、ユニークさで光っている。私としては、必ずしも出されている解釈が最善だとは思わないときがあったが、それでも、こうした「読み方」が隠されているのはもったいない。もとより、信仰を前進してきた人は、おそらく自ずからこの大部分は自分でやっていたことだ、と言うことができると思う。だが、それならそれで本書を読む価値がないということはない。自分の「読み方」は間違っていなかったのだ、と嬉しくなるからだ。
 本書の中にある図版が、またいい。的確に、文章の説明を助けている。だからまた、著者の言おうとしていることが分かりやすい。そう難しい神学議論などがあるわけではないので、クリスチャンに広く読まれうるものであろう。これはいい。聖書と自分、つまり神と自分との付き合い方が、ひとつスッキリと一皮剥けたようなものになる可能性が高い。いい本である。




Takapan
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