本

『言葉とは何か』

ホンとの本

『言葉とは何か』
丸山圭三郎
ちくま学芸文庫
\900+
2008.4.

 昔少し本を開いたら、えらく難しくて、敬遠してしまっていた。言語哲学には不案内であったことと、フランス語の哲学に慣れていなかったので、よけいにその世界に入れなかったのだ。しかし時が流れると、少し様相が変わってくる。フランス語はともかくとして、関心や見識も多少は拡がってくる。自分の中での思索の足跡に合うものがそこに見出される確率が高くなるのだ。
 いや、それだけではあるまい。今回書店で実物を見て、読めるかもと期待して読んでみたら読めたというのは、私の方に理由があるのではなくて、著者の力量だ。難しい言葉を分かりやすく書くというのは、まさにそれにほかならない。巻末の解説によると、おそらくこれは入門的な役割を果たす部分を独立させた著作であるという、ちょっと複雑な背景があるようなのだが、ともかく分かりやすく書いてある点は間違いなさそうだった。それでも、一から丁寧に、例も豊富に言葉について語っていくその説明は、見事と言わざるをえなかった。
 しかし、ただの説明書ではない。強い主張がこめられている。事物がまずあってそれを指す言葉が生まれるという、物に対する対応を否定する点を読者に理解してもらおうという熱意が強く感じられることは、最初のほうで明らかではあるのだが、それが最後まで続いたのはさすがである。一定の色を塗った提示となり、一般的な教科書をここに作ったというものではないというのは、実は読者にとり楽しいことであるに違いないのだ。
 それにしても、最初は高校の教科書の記述あたりから入り、言語なるものを歴史的な見方から説き明かしていくなど、実に入りやすい門を設定してくれた。もちろん、ある程度の哲学的な思考に慣れておくことが望ましいが、そうでなくても、熱心に読む人には、新たな世界がきっと開けてくることだろう。言葉とは何か。まさに、この本のタイトルである。
 しかしこのタイトル、実はフランス語について教える本の前半部のようなものなのだそうである。こうして入りやすい部分を設けた後に、新しい言語学は過去のものとどう違うのか、何に注目しなければならないのか、そのために持ち出された概念を定義づけつつ用い、その言葉によって思考を深めていこうとするものであった。
 ランガージュとラングの区別はある意味でさりげなく出てくるが、ゴシック体にしてあるのでさしあたり目立つ。しかしこの後読み進むにつれ、この語は既知のものとして扱われていくので、私のように自信のない読者は、ドッグイヤーを作っておくとよい。頁の上の角を三角に折り曲げておくのだ。ちょっとその先の記述の理解に曖昧さを覚えたら、すぐにそこに戻るとよい。新しい概念は読者にとりすぐには馴染みにくい。むしろその定義ではなく、説明を辿る中で概念形成が確かなものになっていくので、定義部分はすぐに開けるようにしておくとよいと私は経験上思っている。
 それはパロールについてもそうで、使い慣れたら別段どうということはないのだが、それまでは、犬の耳をこしらえておくとよいと思う。私がちょっと馴染まなかったのは、デノテーションという語だ。これは最初「外示的意味」という漢字の熟語が、直後にフランス語の単語を並べて紹介されていたのであるが、よく見るとこの「外示的意味」の右側に、小さなルビで「デノテーション」と書いてある。それがこの後の議論では、大きなカタカナだけで「デノテーション」が普通に用いられていくのだ。同時に挙げられていた「共示的意味」についても事情が同じで、こちらは「コノテーション」と振ってあった。このルビをよく目に入れていなかったがために、私は次の頁が詰まってしまったのだ。
 本文は142頁までで終わるが、そこから「解説」と「改訂新版へのあとがき」と「文庫版のためのあとがき」があり、さらに「参考図書」と「術語解説」「人物紹介」「事項索引」というぐあいに、80頁が続く。全体の三分の一以上が、解説などに使われていたのだ。特にこの術後解説は、言語学を学ぶ上で、あるいは少なくとも言語学についての本を読む上での必要事項が、長すぎず短すぎず、適切に説明されている。面倒でなければ、本文を読むときにその都度ここを参照すると、さらに読みやすくなるに違いない。私は後から、それをすればよかったと少し後悔している。それで、いまお読みの方には、ちょっとしたアドバイスということにしたい。
 確かに、1993年に亡くなった著者の叙述は、いまとなれば学界の進展に対してもはや過去のものになったと言えるかもしれない。言語学を取り巻く情況も、ずいぶん変わってきている。だが、その辺りのことも、巻末の文章が押さえている。言語学の伝えにくい考えについて、実に噛み砕いて説明している本書は、学生には恰好であり、学び始める人には絶好の読みやすい入門書となりうるであろう。それは、疎い私にも、そうだと言える、説得力のある励ましであった。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります