本

『ことばと思考』

ホンとの本

『ことばと思考』
今井むつみ
岩波新書1278
\840
2010.10.

 認知という面から、言語の問題を扱う。心理学の立場からの実証的な試みが展開されている。実に示唆に富んだ、しかし丁寧な実験である。
 まず、言葉が世界を「分ける」ということから明示する。そして、認識を含めあらゆる理解や記憶などの活動をすべて括る形で「思考」という言葉を使っていくことを定める。
 大きなテーマは、異なる言語では異なる世界像を有しているのか、という点である。そのために、言語が世界を分け、異なる言語がどう関与しているか、しかしまたその背後に普遍的な規則はあるのか、それは子どもの言語獲得の発達の中でどうなっているのか、そして人間の思考というものが言語といかに深く関わり合っているか、はたまた言語無き思考なるものがありうるのか、というところにまで問いを深めてゆき、また少しでも実証しようとしている。実に壮大なスケールで問題を掲げ、またそれを明晰に提示し続ける本となっている。
 ことばというものに、そしてことばの働きや機能について少しでも疑問を呈したり謎を感じてそれを解明してみたいという思いを抱いたことのある人には、きっとどこかでこの著者の問題に吸い込まれていくことであろう。
 たとえば、英語だと、ものを抱える状態を示すのに、じっと保っているか、動かすかという区別はあるが、どのような状態で抱えているのかについては問題視しないという。言語の有無からすればそうなのだ、と。しかし日本語には、そして中国語だとより以上に顕著なのであるが、担ぐとか背負うとか、様々な表現が一語として区別されているのだという。これは、世界をどのように見ているか、その違いに基づくものであろう。歩くことから走ることへかけては、日本語は貧弱であるが、欧米語ではどのように駆けるのか、細かな区別がある。狩猟民族の名残なのかどうか、そういうことは著者は問わない。ただ現にあるこの言語に基づいて、人々がどのように世界を認識しているのか、区別しているのか、そこに神経を集中する。
 子どもの実験も面白い。数を区別するのか、ということを赤ちゃんに適用するのだが、赤ちゃんが目を見開いて驚く表情を見せるかどうかで区別したかどうかを判断する実験などが紹介される。アヒルが衝立の陰に隠れて反対側から現れたときに、1匹と判断するか2匹と判断するか、といった問題である。心理学者も実験そのものについて工夫や忍耐は大変なものであるらしい。
 図柄を記憶するときにも、私たちは記憶を言語に頼っていることが指摘される。ある図形を記憶して描いてもらうという実験なのだが、それは「メガネ」ですね、と言葉にした上で、あるいはそれは「ダンベル」ですね、と言葉にした上で描いてもらうと、元の図がその言葉に引っ張られて曲げられて描いてしまうのだという。つまりは、モンタージュなど事件の証拠に関わることでもあるし、アンケートの誘導性についても示唆されているのであろうが、著者はそのようなことについては一切言わない。ひたすらことばと思考の問題に絞ってそこに的を絞り論を展開している。これは、読者からすれば面白さに欠けるかもしれないが、科学的な説明としては適切なものであると言えるだろう。
 結論がきちんと最後のほうで述べられている。整然と論が尽くされた、好著である。その結論というのは、私がかねてから盛んに伝えているようなことであった。人間はことばによって思考しており、ことばなしでは思考というものは成立しないこと。そして、外国語を学ぶということは、自分の視点や視野が世界で唯一の真実であるのではなくて、様々な世界観が世の中にはあると知るためにも、外国語の学習は意義が深いということ。世界の認識の仕方には、自分の言語では気づかないものが多々あるのだ。それは、自分を神とすることから人間を守ることができる。自分の見えているもの、自分が世界を区分けして認識しているものは、真理の一部ではあるだろうが、真理のすべてではない。私たちは、象の尻尾に触れて、象とは細長いものだ、と思いこんでいるようなものであるかもしれない。そのことを、この本は実証しようとしているかのようであった。
 ひとつひとつの実験が面白い、と思う読者もいるかと思うが、この結論は確かに重い。大きな問題を、小さな本で取り扱ってくれ、またそれを多くの人が読める形で提供してくれたことに感謝したい。




Takapan
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