本

『ことばと文化』

ホンとの本

『ことばと文化』
鈴木孝夫
岩波新書C98
\480
1973.5.

「何をいまさら」とお叱りを受けそうである。この分野における古典中の古典、半生記も前の本を取り上げるとは。
 昔読んだのは確かである。長らく書棚にも保管していた。だが、本を捨てよという家族の命令で、だいぶ処分してしまった本の中に、本書も含まれていた。が、因果なもので、息子の学習のためにこの本が必要になった。教科書に出て来たというのもあるが、このようなことを考えていきたいという進路に関わってきたのである。もちろん、新しい研究はいくらでもある。しかし、プラトンを知らずして哲学をするわけにもゆかないように、この本を全く知らずに、ことばと文化について考えるということは考えられない。調べると、古書としてかなり安価に手に入ると分かり、取り寄せたという次第である。
 私もずいぶん昔に読んだだけである。当時は驚きつつもたつきつつ、読み進んだことであろうが、今なら相当なスピードで読めることが分かった。lipが示す領域だとか、動物愛護のイギリス的思考など、自分の知識の一部がこの本に基づいていたのだろうということに改めて感心することとなった。影響が大きかったということである。
 論旨が非常に分かりやすく、国語の教科書や入試問題にも取り上げやすい文章だと感じた。ことばについて論ずるのであるから、ことばを使うのに非常にナーバスになるのも当然である。自分は専門外だと言いながら、政治や宗教の違いなども考慮しながら、文化を扱っていかなければならないのだから、決して生半可な知識や了解で、まとめあげているわけではない。その上で、言語学、特に日本語の言葉に対する専門的な研究の内容も、本書ではかなり取り上げられていて、決して簡単に扱えるものではないというのも今ならよく分かるように思えた。
 もちろん、新書である。論文ではないから、綿密な論拠や出典などを並べるわけにはゆかない。一読して内容が掴めるような構成にしなければならない。だからこそなおさら、読者に疑問を起こさせることのないように、明晰に論じていかなければならないものであろう。
 初めにはbreakを中心とした文化と語との関係がゆっくりと述べられる。さすがに大人になれば常識のようにも思えるが、私が読んだ若い頃には、難しかったのではないかと思われる。 ことばがものをあらしめる、という辺りの話は今読んでも面白い。形容詞の相違についてもはっきりと分類されていて、非常に読みやすい。言葉というものは、当たり前に使っているものだから、改めて分析すると、感慨深いということがあるが、そうした体験を与えてくれる点については時を経て古びたものになってはいないのだと感じた。
 辞書で「石」ほ説明する必要がない、というあたりの意見は、決していまの国語辞典も採用していないように思われ、ということはつまり、「意味」と「定義」の相違を国語辞典は意識しないで伝統的な辞書のままに扱い続けているということになるのだが、この辺り思い切った編集をする辞書が現れても面白いのではないだろうか。
 西洋の習慣や文化については、安易にそれと日本とを対比させてよいのかという考え方もあるだろうが、恐らく当時もてはやされた考えの枠の一つであったのだろう。現代だったら、西欧に限らず、アジアやアフリカなどの文化との比較も必要になってくるに違いない。ここでは、西洋文化の思考法を単に比較に使ったのみならず、批判的に述べているようにも見えたが、果たして本意はどうだったであろうか。もちろん、文化論を呈しているのではないため、文化的価値を明らかにしようとしているものではないから、ここでは、ことばと文化との関連という点からだけ見ておけば十分なのであろう。だから、ここから先は読者自身が、文化の差異と意義、また生活や思想へと考えを膨らませていけばよいはずである。でもやはり、イギリス人が残酷なように感じてしまうのは、私が十分日本文化に染まっているからなのだろうか。逆にイギリス人からすると、日本人が残酷に見えて仕方がないということになるのでもあるだろうが。
 人称の話は新鮮に面白かった。たぶん昔は理解していなかったのだろう。今読むと非常に面白い。説明がくどいくらいであるのだが、そのだけに、一読で誤解のないように配慮した、筆者の力量なのであろう。その点で苦労した旨「あとがき」に記されていたが、確かにもう少しスマートに説明ができたかもしれない。でも、これでよかったと思う。このくらいにしつこく書くことで、明確に筆者の言おうとしていることが伝わるわけで、新書のひとつのあり方を定義できたようなものであるのかもしれない。それはまた、著者の研究のかなり深いところに関わっているのだということらしいから、確かに読み応えがあるものだった。
 そういうわけで、今も輝きを失わないこの文化論の古典、やはり学ぶところの多いものであると肯くものであった。そしてその後、これらの考えが明らかに否定されている、というような経緯もきっとあるだろうと思うので、どなたか、「ことばと文化・その後」のような感じで、半世紀後にこの本の説がどう受け取られるように学会や常識の中で変わってきたか、教えて戴けないだろうか、と思った。いや、すでにそれはあるのではないか、などとも思いつつ。




Takapan
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