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『kotoba 2025SummerIssueNo.60 いまを生きるための哲学』

ホンとの本

『kotoba 2025SummerIssueNo.60 いまを生きるための哲学』
集英社
\1409+
2025.6.

 偶然知った季刊誌である。毎回いろいろな話題が特集されていたので、「哲学」という名に惹かれた。しかも、この時点で一番新しいものである。私が手を出さないはずがない。
 特集は、全体の半分余りで、残りは連載記事その他から成っている。紙質も立派なものであり、B5大で装丁もしっかりしている。いまの時代では格安の品物であるかもしれない。
 kotobaという題名が示すものは、幅広い。そもそも聖書では、それは「ロゴス」であり、ギリシア語では「理」という漢字が似合う概念であるかもしれないほかに、イエス・キリストのことを示すこともある。
 今回は、正面から「ロゴス」そのもの、「哲学」である。しかし、哲学者の研究を執筆者が披露する場であるはずもないし、専門家に論文を発表する場でもない。
 特集部門では、三つのバートに分かれている。まずは「求められる哲学」ということで、トランプ時代から武道、中動態から責任、といった問題がそれぞれ6頁ほどの内容で論じられる。6頁とはいえ、三段に組まれたものは、相当に中身が多い。
 次は「哲学でいまに向き合う」と題して、人工知能やAI、データ社会や平和な社会、保守思想について、また常識のアップデートという楽しい企画が並んでいる。
 最後は「どう哲学徒出会うか」という名で、散歩と哲学の関係や、生成AIやフィクション、「こじらせ」にまつわる愉快な世界が示されると思えば、ブルース・リーの哲学、哲学カフェの現実が紹介される。また、編集部が選んだ哲学の本のリストもあった。
 こうした項目を少し挙げただけで、お感じになった方もいると思う。そう、私はこれらの項目を見て読みたいと思ったわけではないのだ。販売する場面で、執筆者の名が並んでいたことである。
 私が何か読んだ人の名がそこにあった。東浩紀、内田樹、國分功一郎、戸谷洋志、朱喜哲、大澤真幸、島田雅彦、魚豊、といったあたりか。いまピチピチの思想関連の本や文章の人の名である。また、篠原信については、本書で読んで、著書をすぐに購入したほどである。
 一つひとつの論点や内容をここに並べはしないことにし、関心をもたれたら直に手に触れて戴きたいと願う。確かに國分功一郎は、その著書の内容をまとめたようなものではあったが、逆に言えば、分厚い著書のエッセンスを、あるいはその後の本人の観点を語ってくれている、とも言える。内田樹については、いろいろな事を語る人だが、ここでは武道と修行について熱く語ってくれていて、私にとっては新鮮だった。
 人工知能やAI、データ社会というのは、人類がこれまで経験したことがない扉を前にして、まだまだこれから様々な見解が現れるかと思う。技術の進展からしても、今後また考え方が変わってゆくかもしれない。ひとつの考えるヒントが、執筆者との対話の中から刺激を受けて得られるかもしれない。
 適菜収の「保守思想」は、とても新鮮だった。「保守」とは何か、的を射た論旨であったが、語り方が過激なふうに見えたのもよかったかもしれない。選挙で躍進した保守思想の党が、実は「保守」とは縁もゆかりもないものであることを、これほどはっきりと強く示した論者とは、なかなか出会わないものである。
 なお、連載の中に、「なぜ人は猫を飼うのか?」という赤川学のものがあり、後半のものだけしか読まなかったことになるのだが、地域猫に関わる私としては、論点が整理されていてとてもよかった。感情や思いつきで言いたいことを言うのではなく、さまざまな意見や立場のことを掬い上げて、多角的に論じてゆく者を見るのは、とてもためになる。
 離島の神社や寺院についてのレポートをしていた鵜飼秀徳には、現実の信仰というものについて、目を開かせてもらったことが頼もしい。有意義な本であったことは間違いない。




Takapan
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