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『古典の継承者たち ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』

ホンとの本

『古典の継承者たち ギリシア・ラテン語テクストの伝承にみる文化史』
L.D.レノルズ・N.G.ウィルソン
西村賀子・吉武純夫訳
ちくま学芸文庫
\1800+
2025.6.

 図版と索引だけで80頁を超え、全体で600頁にもなる。文庫本とはいえ、激しく厚い。原注なるものは、殆どひとつの読み物となっている解説に等しい。これが100頁ほど。420頁ほどまでは、しっかり本文である。
 確かに、専門家はこの程度の叙述で仕事をしているわけではないだろう。だが、これを「古典研究の一分野への初心者向けの手軽な入門書」、「短い入門書とくに語学と歴史の知識が限られている日とたちの読める入門書」といきなり序文で掲げているのを見ると、絶望的な気持ちになる。本書のどこが「短い入門書」なのだろうか、と思うからである。自分の力のなさを痛感するくらいなら当然のことなのだが、それにしても、本書の詳しさときちんと根拠を示した徹底さは、十分学術の指針として有効であるだろうと考えざるをえない。
 確かに、この分野は「いまだ一般にあまり知られず、理解もされていない分野」であると言えるだろう。このような事情については、いきなり開いた「序文」に詳しいから、まずはどなたもここから丁寧に読むことをお勧めしたい。よけいなことを述べず、コンパクトにエッセンスを告げているからだ。
 たとえば「本書は、ギリシア語とラテン語の文献が保存されてきたプロセスを概説しようと試み、写本の時代にテクストがさらさらていた危険を説明し、古代と中世の読者や学者が古典文献の保存と伝承にどれだけ関心を寄せた科を示した」とそこに書かれている。
 また、学生を対象にしているというが、中世やルネサンスの文化史に関心をもつ人にも役立つであろう、とも語っている。そして「聖書学を学ぶ人たちにも何か興味深いものを見つけてもらえれば、と願う」という。私の関心の中心はそちらにあった。必ずしも、聖書のことばかりが書いてあるわけではないので、聖書の伝承そのものについては別の本を参照する方がよいが、しかし聖書だけでなく、古代の文献一般について多々記された本書を踏まえておいた方が、絶対によい。古代や中世の文献が保たれ、また継承されてきた背景があってこその聖書の伝達なのであるから、一般に文献がどのように扱われたかという視点はどうしても必要だと思われるからである。
 本書は、1991年版の全訳であることが、「訳者あとがき」に明示されている。初版は1968年であったといい、1974年に改訂された。ここで本書は一度出版されているのだが、これが文庫版となると、結局2013年の第四版の全訳となっている。文献資料や研究の進展により、改訂された部分はあるものの、本文はほぼ同じ内容のままで次々と版が改められているそうで、本書の定評は高い。
 そもそも、こうした研究は、英米に於いても、決してポピュラーではなかったのだ。しかし、私もそうだが、常々古典文献が伝えられているその過程については、疑問や不思議さが盛りだくさんであった。特に聖書についての本を読んでいると、新約聖書については、どの写本の読み方を採用するか、というのは非常に重大な問題である。神の言葉は、無数に異なる写本の、どれを信じたらよいのかというふうに、精神的な命に関わる事柄だからである。そのため、聖書学に於いては、文献の信頼度や真実さについては、関心が強い分野ではあった。一定のギリシア語が、恰も原本であるかのように作成されているが、それすら研究のひとつの成果に過ぎず、そのものすら改訂されている。そのためまた、日本語訳の聖書も、訳し直さなければならなくなることが起こるわけで、そこから説教をし、また信仰を掲げる牧師や信徒としても、蔑ろにできる問題ではないのである。
 いまこれが、文庫という形で、手軽に読めることを幸いに思う。もうとにかく中身は、勉強になることだらけであった。政治的な歴史も加味し、また科学的な素材や方法の発展に関係して、文献というものは、こんなにも奇蹟的に伝えられてきたこと、またそれを書き、あるいは読み解いた学者などの人々に、改めて敬服する次第である。古代から「図書館」というものが機能していたことについての驚きと共に、そうした文化を焼き払った争いに対する怒りも覚える。時にはキリスト教徒が、異文化をそのようにして滅ぼしてきたということに心を痛めつつ、いまこうして遺ったもの、またそれを守ろうとし内容を理解しようと努める人々に、敬意を表したい。
 それにしても、本書の内容は、「学生」や「初心者」の「入門書」と謳っていて、本当によいのだろうか。




Takapan
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