本

『子育てテレビ新事情』

ホンとの本

『子育てテレビ新事情』
尾木直樹
新日本出版社
\1,600
2004.1

 赤ちゃんはテレビを長く見てはいけない。そういう報告が最近小児科医から強く出されていた。もちろん以前からも言われていた。テレビやビデオを子守代わりに用いることは、子どもの成長の上で大きな問題がある、と。赤ちゃんの刺激受容にとっては、テレビは強すぎるのである。そして、視覚にばかり頼ることにより、健全な感覚刺激の発達や、対面的交流の経験不足による精神的な発達が妨げられるというのである。
 赤ちゃんばかりではない。子どもと呼ばれるのはいつまでだか分からないが、もし義務教育以下を指すとすれば、彼らへの影響も大きなものとなる。他のメディアと異なり、日常に欠くことのできないものとして、水や空気のようにそこにあるからである。
 著者は、教育経験者として、そうした子どもたちの姿も頭に入れつつ、様々な評論活動や放送委員会としての活動に忙しい人である。どこか綺麗事過ぎるような主張ではあるかもしれないが、この際商業的目的は一切考慮に入れず、子どもたちに与える影響としてのみ、テレビの実情を捉え直すことは、たしかに必要であるかもしれない。
 本の前半は、さまざまな調査結果が報告されている。その意味からすると、読むという行為にとって、退屈さを覚えることがある。読者は、3章から後を先に読んでは如何だろうかと提案したい。つまり、第3章「子ども視聴者の尊重」と、第4章「デジタル時代を「生きる力」」である。
 ここにさえ、根拠のある資料は十分引用されてくる。説得力も十分にある。
 いや、先に「綺麗事」などと呼んだが、この後半を味わうと、厳しい現実がそれなのだということが、次第に分かってくる。バラエティ番組で、誰かをからかって笑いをとるものを、当然のことのように、つまり何の疑問もなく視聴していた自分が、とんでもない悪へ加担していたものだという自覚が出てくる。子どもたちは、どっぷりとそこに浸かり、そこから学習していく。大人なれば、一定の約束事として括弧にくくって理解できることも、子どもにとってはストレートにそうなのだと受け止められる。この簡単な原理を忘れている大人の姿を、まざまざと見せつけられることとなる。
 だが、一方で、子どもたち自身はちゃんと分かっている、とも著者は言う。テレビには「やらせ」があること「嘘」が多いことを、理解した上で子どもたちは批判する眼差しももっているのだという。そして、メディアを製作する大人たちが、視聴率だけを問題にして、視聴率を上げるために、いじめなりセクハラなりやらせなりを放映しようとしているのとは裏腹に、子どもたちは、それを批判するために見ている現実もあるのだという。お分かりだろうか。反面教師としてその番組を見ている人たちが多くいるということは、視聴率が上がるということなのである。高い視聴率を得て喜んでいる制作者は、実は批判が多いのだということをも知るべきなのだ。
 民放連の放送基準というものがあるにも拘わらず、番組制作者の中で、それを意識した仕事をしているという人は、一割程度しかいないという衝撃的な調査が、この本には明らかにされている。それどころか、そういう放送基準を読んだことがないという回答が、半数を超え、(部門などにより異なるが)全体の4分の1から6分の1の製作に携わる人々が、放送基準の存在すら知らないというデータが出ている。
 暴力の加害者が処罰されない番組が如何に多いか。しかも、主人公など視聴者が同化しやすい側の立場の役の者が加害者でありながら処罰されないというケースが極端に多い現状があるのに、それが子どもに影響を与えているとは考えない大人とはいったい何なのか。考えさせられる。
 そして最後に、ケータイについても触れられる。子どもたちがケータイを安易にもつ現状に、何の問題も感じられないような世情に警告を鳴らしている。私などは当然だと思うが、小学生の低学年の子でさえケータイをぶら下げて塾に来ているのを見ると、これは大変なことになるぞという気が、つねに伴う。
 真剣に取り上げられなければならない問題を提起した本であると思うし、この本が真剣に世の中で取り上げられなければならないと思う。




Takapan
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