本

『これからの教会のありようを考える』

ホンとの本

『これからの教会のありようを考える』
森一弘
女子パウロ会
\1200+
2011.4.

 第二バチカン会議を経て、カトリック界は大きく変わったと言われる。しかし、カトリック内部にいるのではないし、それ以前が私の生まれていない時期でもあるので、何がどう変わったのかという実感がない。
 カトリック内部から、ようやく会議から半世紀を経てのことではあるが、その会議の意義を明らかにする声が出てきた。逆に、よくぞこれだけ身内の恥ずべきことをぶちまけた、と言ってよいほどの内容であった。そして、会議でよくなったことは間違いないが、まだまだであり、ある意味でそれ以前の状態から抜け出していない、と批判しているのである。カトリック教会はもっと変わることができる。変わらなければならない。そのように訴えている。
 勇気ある発言でもあるだろうし、これが「女子パウロ会」から出版されているというところからしても、カトリック界の懐の広さを感じる。これでいいと思う。
 もちろん、プロテスタントで信仰生活を続けている私には、ピンとこないところもある。司祭の位置づけや教皇のメッセージなどがどれほど重い意味をもつか、それも想像以上であろう。だが、もちろん同じ信仰である。分からないということはない。それどころか、私の先輩方の中には、へたをするとカトリックは反聖書的な教えだとぶつけていく声も聞いていた。また、その逆に、戦前あたりのカトリック界の重鎮が、プロテスタントは全く意味がないと決めつけている、そういう声も本から知ることがあった。それが、公会議を経て、様相が変わったのだ。
 それに、私の最近の印象では、カトリックの世界での聖書研究は進歩的で、プロテスタント側のいわゆる自由主義神学とかなり接近しているように見え、聖書をいわば盲信するというイメージでなく、冷静に文献としてしっかりと研究しているもののように見えていた。フランシスコ会訳など、リベラルな解説が多く、よく調べてあると感心することしきりであった。
 だが、まだだめだと著者は言う。そもそも公会議そのものが招集されたときにも、当時の教皇の意図を誰も解せず、改革の気運は全くないままに呼びかけられたが、教皇の意図はそれとは違い、大改革をしていく決意であったという。そしてその大改革が決議されてそれに従って歩み始め、次第にその路線が定着していった。これは大きな曲がり角であったし、その道は順調に進んでいるようにも見える。が、それでもまだなのだそうだ。それは、当初の理念の方向に進んでいるのは悪くないけれども、その理念の実現にはまだ程遠いのだという。現状に満足せず、その理念を現実にしなければならない、と著者は熱く語る。
 その主張は、適宜繰り返されるから分かりやすい。各自の良心へ神の語りかけがあるからその声に耳を傾けていくべきだというのである。そのとき、教皇の発言と食い違うことがあれば、ただ鵜呑みにするのがよいことではないのだ、というほどの力説ぶりである。
 これまでの歴史の中でも、キリスト教は、その時代の考え方に合わせて進展してきたことを著者は重んじる。逆に、時代を無視してきた教会が、実のところ悪に傾くことをしていたではないか、とはっきり告げるのである。自分たちの教義が正しいのだから、と頑なになることは、聖書からしても、批判されて然るべき行動である。新しく展開した時代の中での気づきもあり、いままだカトリック界は変わっていかなければならない、とするのである。
 権力が罪を隠蔽する昨今のカトリック事情を鑑み、これはむしろカトリック界を真に福音的たらしめるものである、と確信しつつ、著者は自分の気持ちを叩きつける。勇気ある発言である。だったらまた、プロテスタント側でも、これくらいのことはもっと言ってよいはず。言えるのがプロテスタントでもあるのだから。そして、もはやカトリックとかプロテスタントとかいう垣根をつくることからも少し離れて、人間存在の危機を見据えつつ、キリストのスピリットを実現することへ向けて、キリストのしもべは邁進していきたいものだと強く思う。人間的な利益や権威などに固執することは、神よりもそれを上位に置くことになるのだから。
 だからまた、プロテスタント教会からも、この本は味わうべき価値がある。それだから、タイトルには「カトリック教会」とは書いていないのであろう。著者の心意気を受け止めたい。




Takapan
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