本

『この世の喜びよ』

ホンとの本

『この世の喜びよ』
井戸川射子
講談社
\1500+
2022.11.

 妻が小説が好きなので、私が定期的に図書館に行くとき、新刊の棚の中から、こんなのどうかな、と選んで借りることにしている。図書館では、新刊の小説はすぐに誰かが借りる傾向があるため、今回も残っているのが少なかった。その中でひとつ、この本を借りた。
 その日の夜、芥川賞の発表があった。どこかで聞いたような名前の本だ、と思ったとき、私は目を円くした。確認したが、間違いない。この本だった。
 候補になっていたことさえ知らなかった。というより、あまり関心を示していなかった。
 そして、これは文学なる世界での評価なのかもしれない、と読む中で思うのだった。
 一種の実験的な手法なのだろうか、文学上の技法については私はまるで分からない。表題の物語が本書の7割を占め、残りをごく短い短篇が折半する。
 表題作は、喪服売り場の女性と、一少女との関わりが描かれる。だが、なんといってもこで目を見張るのが「あなた」という呼称であろう。一人称が三人称か、というのは小説を描く場合の選択のイロハとなる。文体云々という以前に、この視点が、大きく作品を左右する。「私」という視点だけで世界を切り取っていくのか、大雑把に言えば「神の視点」で書く人物の内面をも描いていくのか、という選択である。だが、どこかで流行っているのか、どうなのか知れないが、本作品は「あなた」と、中心人物を呼び、描ききるのだ。さすがに最初は違和感ばかりであったが、一度そういうものかと気づくと、それなりに読めるとは思った。だが、やはり慣れないので、すとんとその視点が胸に落ちることはついになかった。
 旧約聖書だと、そうした視点がないわけではない。神が一方的に「あなたは」という形で、特定の人物や、イスラエル民族を呼ぶことは理解できる。神は全知全能という考え方により説明できることもある。神は、人の心の中や行動する様を、すべてお見通しなのだ。そのときこの「あなた」には果たして自由があるのかどうか、そうした議論すら起こるかもしれない。
 だが、小説を読む者が、そのような神であることは難しい。原理的にはありえない。だとすると、作者が神であるということなのだろうか。するとまた、神の視点と呼ばれることもあった三人称なるものも、厳密には神ではないのかもしれない。否、それもまた神だとすると、この二人称の神は、向き合っている神である。人は神と出会い、神とサシで向き合うときに、信仰体験の領域に入る。三人称で世界を対象として描くときには、神が見ているようでありながら、実は擬似的な神であろう。世界を客観としてそこから距離を置き、恰も神であるかのように振舞っているに過ぎない、ということだ。その点、モーセに向き合う神は、モーセに「あなたは」と言い、イスラエルの民全体に対しては、その民の神としての立場から「あなたは」と呼びかけているように捉えることもできる。それは互いに呼びかけ、あるいは呼びかけられるという関係の中で、責任を負うようなものだとも言える。
 果たして本作で「あなた」と呼びかけている者は誰であろう。作者であるというのは確実である。同時に、読者もまた、その主体になるように誘われている。果たしてそういう者になりえたのか、と問われれば、私は未熟であったということになる。
 他の作品でも、二つ目の「マイホーム」では、段落の終わりに句点が設けられるほかは、通常句点が置かれる箇所もすべて読点でつなぐという方法がとられており、話の内容よりもそちらのほうが気になった。これとは逆に、通常読点が置かれる箇所にすべて句点を置くというものとして、草野心平が詩の中で試していたのを思い出す。朗読のときに、一つひとつの句を区切って読まざるを得なかったが、これは声を出すときのことを意識しているような気がいた。それとは逆に本作では、段落ごとにひとつの出来事が描かれており、それは一つとして切れ切れになることなく連続している、という印象を与えていたようにも思う。しょせんただの素人目であるから、こうした声はあまり気にされないでもらいたいけれども。
 話の内容が、といま言ったが、三作とも、物語としては何がどうしたのだ、というほどの筋道しかもっていない。作者は三十代半ばの女性であるが、その年代あたりの女性の視点というのがうっすら感じられはしたけれども、その日常的な世界における、ちょっとした心のざわめきや、本人にとってのニュースめいたものが描かれている、というような雰囲気を覚えるだけで、少なくともエンターテインメントの要素はない。読者サービスがあるわけではない、ということで、読者がそうしたものを期待すると、混乱の中に置かれるだろう。
 だから、文学愛好家からすれば、確かに涎が出るような面白さを覚える、というこがあるのは理解できるが、さて、何か先入観や所定の立場を固めている読者からすれば、目くらましに遭ったような心地がするかもしれない。ただ、芥川賞を受賞したからには、今後がより多くの人に注目されることには違いない。その名誉ある肩書きは、ずっとこの人についてまわるからだ。本賞だけではなく、いろいろ評価されているのであるから、きっと素人には分からない輝きを中に含みもつ方なのであろう。選考委員の方々の期待をも背負い、これから描く世界には、私も関心をもつべきであるだろうと思った。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります