本

『<個>の誕生』

ホンとの本

『<個>の誕生』
坂口ふみ
岩波現代文庫
\1620+
2023.1.

 評判のよい本であった。サブタイトルが、「キリスト教教理をつくった人びと」とあり、初期の思想家と、特に公会議に焦点を当てた形で、東西のキリスト教の区別を置かず、哲学の分野にも十分視野を持ちながら、どこかエッセイのように綴った本である。学術論文ではない、ということだ。しかしエッセイにしては、文庫で400頁ほどを数え、充実したものとなっている。
 1996年に元々出版されていたのを、多分そのままに文庫化している。その後も研究は進んだであろうということをにおわせて、山元芳久氏が解説を入れているけれども、本書の価値を下げるような扱いは全くしていない。否、これほど充実しており、優れた視点を提供するものはない、と褒めちぎっている。
 私のような者が誤って紹介しては害になるだろうから、この「解説」から少しばかり引用してみる。
 「キリスト教の「信仰」に依拠するのではなく、あくまでも「哲学」の探求者として、キリスト教が生み出したテクストをここまで深く解読し、「現代」と接続させることに成功した書物は、管見の限り、他には存在しない。」
 「キリスト教の聖書や神学が生み出した複雑な諸概念の森の奥深くへと踏み込み、一見非常に特殊なキリスト教の「教義論争」のただなかから、普遍的な洞察をえぐり出そうと試みているのが、『<個>の誕生』という書物なのである。」
 「本書は、古代末期のキリスト教の教理論争を背景に生まれてきた古代末期から中世にかけてのキリスト教的な神学・哲学という、一般読者にはほとんど無縁とも思われる分野を、現代を生きる一人ひとりの生と接続させてくれる稀有な書物なのである。」
 「本書は、ニカイア会議とカルケドン会議という二つの公会議を軸とした四世紀から六世紀にかけてのキリスト教思想史に定位しながら、「個」の問題を軸とする存在論的・形而上学的問題を論じたものである。」
 「キリスト教の教理論争というものが、そしてその原点にあるイエスの教えというものが教えてくれる一人ひとりの他者のかけがえのなさへの「気づき」に導いてくれるまさにかけがえのない書物として、キリスト教の教理論争やイエスの教えに触れたことのない人にこそおすすめしたいまさに珠玉の一書である。」
 どうだろう。これだけで、もう本書の価値が十分にあぶり出されているのではないだろうか。
 他にも、本書の論点についてまとめている箇所もあるが、この「解説」が、文庫だけにしかない、というのは勿体ないような気もする。
 ところで、その「解説」でも触れられていたのだが、本書の構成には、良い意味で人間臭い、心ときめく文章が混ぜられている。それは、全体の最初と最後である。そこには、亡友のエピソードが載せられているのだ。東洋学者の彼女との心の通い合いと、彼女が「女性」として差別され潰されていったような経緯と、それについての評論のような考えが、たっぷりと描かれているのだ。そして「いわれのない差別は世の中に満ちみちている。文化や教育自身がそういう差別を生み出し続けている」と指摘する。「多数によってわかち持たれている差別ほど、より恐ろしい」とも言っている。そして、イエスの言う「隣人」というものに言い及んでゆく。そこはまだ「序章」なのだが、この「隣人」という概念とイエスの愛、それから近代の人権思想へとつながる中で孕んでいた問題への考えが述べられてゆく。近代に当然のように善きものと看做されている「個」という思想が、安易に扱われていると危険ではないか、という鋭い指摘をするのだ。
 そうして、キリスト教を教理として築き上げるギリシア哲学思想の概念として、ウシアとヒュポスタシスとがどう扱われてきたかということと、その後そのヒュポスタシスがどうやって「個」を示すペルソナへと変貌してゆくのか、を丁寧に論ずるのである。キリスト教の礼拝説教などでは、「ペルソナ」は「仮面」のことで、「パーソナリティ」の元の言葉です、という程度以上のことを、私は聞いたことがない。問題は、とてもその程度のものではないのだ。
 なお、並行して読んでいた別の本の中で、聖書の「隣人」という概念について、ちょうど示唆の多い内容に私は触れていた。それは、ヘブライ語では、「友情」を表す専用の語がない、という事情だった。ギリシア語では明らかに「友情」と捉えるべき語があるのだが、ヘブライ語では、それが同時に「隣人愛」をも表し得るのだというのだ。つまり、場面によって、どちらにも訳せるということであった。神から与えられた友情は、すでに隣人へ通ずる親しみと同一視され得るものであったようなのだ。
 本書は、あくまでも教理思想の成立にまつわる「個」の概念を扱っていた。ギリシア思想との関係という場で論じられていた。もしこれが、ヘブライ思想をベースに展開していたら、また違う様相が現れていたのだろうか、とも思わされたのであった。




Takapan
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