本

『こんな日本でよかったね』

ホンとの本

『こんな日本でよかったね』
内田樹
バジリコ株式会社
\1600+
2008.7.

 倫理学者と言えばよいのか、コラムニストと言えばよいのか、いや、教育関係への発言も多いようだが、お見受けしたところフランス哲学思想をひとつのベースとして考えておられるようにも感じられる。ただし、おそらく自分というものに立つという点を本人は主張されるのではないかとも思われる。
 古書の並びに見つけた魅力的なタイトルに惹かれて購入した。ブログの日記を集めてこれだけの本になったというのだが、その気持ちは分からないことはない。それだけふだんから、ブログに精神を集めて、力のこもった文章を綴っているのだということでもあるだろうが、それもよく分かるような気がする。常日頃から、手を抜かず自らよく考え、それなりの責任をもって真摯に物事に向き合っているということであろう。
 タイトルに続く副題は「構造主義的日本論」とあり、フランス思想から得た一つの思索のスタイルを貫いて、この国における生き方や有様を取り上げているものと見られる。そこに立つ自分から見た風景を、正直に告げ知らせてくれる。
 そのようなスタンスだから、私も時折その風景に重なった視野を感じ、かなり近いところから世界を見ているに違いないと思うことがある。たとえば「それは私の責任です」という人間がひとりもいないようなシステムを構築した日本社会を指摘しているところは、全く同感である。未然に防がれた危機については報道もされないし、それに貢献した人の労も気にかけられることがない。ただ一つ事件として挙げられれば、誰の責任だとマスコミが探し回る。誰も、自分の責任など問わないし、傍目には、犠牲者の出た事件をネタに推理ゲームやつるし上げを楽しんでいるかのようにすら見える。この傾向は、近年ずっと変わりがないばかりか、ますますエスカレートしているようにも感じられてならない。短い文章の中に、この指摘がずばりとなされている点、読者も読み過ごしてしまうかもしれないが、事は重大であると私は考える。
 また、非言語的メッセージの送受信能力が近年とみに低下しているように思われる、と指摘する「コミュニケーション失調症候群」には、日々のワイドショーで挙げられている人々の姿が常に重なってきてしまうのが怖いほどである。もちろん、そこにも先の責任回避が伴っているのではあるが。
 このようにぽつぽつと提示しても、いまここでは伝わりにくいだろうと思われる。社会を見る目、またその背景にあるしっかりした世界を知るための思考訓練があるからこそ、感情で動くのではない、一貫した視座と論理が具わっているといえ、読者は安心する。もちろんそこに賛同しろというものではない。しかし著者の立場を理解するならば、面白いようにその言っている世界が目の前に現れてくる。いや、面白がっている場合ではない。この日本の思考風土がこれでよいのかという問題は深いのだが、タイトルが皮肉的に示すように、これもまた平和の一つであるのかもしれない。
 自分がそのように世界を見ていることが、そのまま世界の姿と同一であるわけではない。著者のポリシーははっきりしている。それができるのは神だけであろう。それを自覚した上で、自分の目から見える景色を忠実に、正直に語る。人間にできることはその程度である。だが、それを自らの足で立ち、責任を担いながら、誰かがしなければならない。著者のその姿勢には、私は賛同する。冷静な分析の眼差しを見習いたい。




Takapan
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