本

『「子守唄」の謎』

ホンとの本

『「子守唄」の謎』
西舘好子
祥伝社
\1,400
2004.2

 日本子守唄協会代表という肩書きをもつ著者は、元劇団の主宰であり、演劇のプロデュースの第一人者でもある。だが、子どもたちへの眼差しから、同時に子どもを育てる親への助けにならないかという願いから、子守唄を通して社会に訴える活動を始めた。1999年に自らこの日本子守唄協会を開き、親子の再発見・再構築を企図している。
 私が知ったのは、とあるラジオ番組だった。そこでのお話を聞いて、これはよいことだと賛同した。また、子守唄の世界に目を開かれた思いもした。庶民の中から生まれた子守唄には、親と子の関係、子どもを巡る社会の眼差しが、余すところなくこめられている。このような歴史は真実だ。形としての制度を建前として掲げようとする歴史観とはえらい違いだと思う。
 いきなり「ねんねんころりん」にこめられた一種のまじないについての説明で、深くうならされる。江戸の子守唄が全国に伝播したのは、参勤交代や行商人などの行き交いにあるのだということも納得せざるをえないが、その際、長崎だけはこの江戸の子守唄が伝わっていない、という指摘に、驚きを隠せない。唯一参勤交代の義務を免れていたからであり、開港の窓口であったためである。
 全国各地の子守唄に短くコメントを重ねていく形式の本だが、ところどころハッとさせられる。新潟や石川では、浄土真宗の影響が強く、ついに間引きの風習をも見ずに済むことになる例外地だという。貧困や飢餓の中でも、容易に命を殺さなかったのは、お上の命令でも金の問題でもなく、人の心、宗教心であったという点を、うれしく感じる。イデオロギーで何もかも正義が実現すると考える人々に、ぜひ考えてもらたいたい内容である。彼らはまた、武家や為政者の歴史だけがすべての歴史だと勘違いしており、大多数の庶民の歴史は、すべて隠して見ようともしないものなのである。
 気になる博多の子守唄は、例外的なものらしい。陽気なお座敷ソングとなっていて、若奥さんを渋柿のようにケチだとか、待遇をよくしてくれたら子どもをあやしてあげるよとか、半ば憂さ晴らしのように、唄の中では強気なことを唄っている。
 子守唄は、譜面に記録されるべき性質のものではない。語り継がれて伝えられるものだ。そこにまた、親子や家族といったつながりや絆のようなものが感じられる。しかも、子守唄は、聴く側には選択の余地がない。ただ赤子は聴かされる中で育つ。子守唄は、伝統のなにそれに限らなくてよい。親が、子どもを寝かしつけようと思わず口に出るものもまた、立派な子守唄である。著者は、こうしたことを最後に告げて、本を終わりへ導く。子守という制度の悲しさがベースになっていることも多いが、時代が変わればまた新しい子守唄のスタイルができてもいい。生き物が皆基本としてもつスタンス、命を未来に伝えるという事柄に直接関係してくる子守唄の世界。妙な思想でしか教育を語れない人々は、こうした生の子育てを、ひとつ少しでも理解するよう努めるのがよろしいのではないか。




Takapan
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