本

『こころを病む人と生きる教会』

ホンとの本

『こころを病む人と生きる教会』
英隆一朗・井貫正彦編
オリエンス宗教研究所
\1400+
2012.5.

 キリスト教会だからと言って、こころの病を治療できるわけではない。しかし、教会には来る。こころを病んだ人が、救いを求めてやってくる。そして聖書には、そのような人々が救われていく様子が記録されている。期待するのは当然とも言える。  教会は日本の近代においてできたと言えるが、えてして知的階級がリードしてきた傾向がある。それ自体が悪いとは言わないし、決して頭だけではなく、社会運動や地を這うような仕え方を徹底した人もたくさんいることは分かっている。だが、近年それはかつてほど多くはなくなっている。確かに「共に生きる」というのは、聞こえのよい合言葉だ。だが、施設のために街頭募金に立ったことが「共に生きる」なのだろうか。訪問介護を一日するが、家に帰ってやれやれと解放された思いをもつのが「共に生きる」なのだろうか。一瞬「共に生きた」かもしれないが、スローガンの美しさに比べて、実態はあまりに乏しいものではないだろうか。
 本書は、読んでいていたたまれなくなってくるものもある。多くの人の証言とも言える本なのだが、特に後半がそうだ。前半は、精神疾患についての基本的知識を受け取るための最低限のことが書かれている。専門家の仕事である。後半では、現場で活動している人の声である。「はじめに」で断っているように、「こころの病」というカテゴリーに入らないものも含まれている。いのちの電話やグリーフケア、ホームレス支援などである。しかしそのどれもが「こころ」の問題を抜きにしては考慮できず、実践できない場面である。当然本書に入っていて然るべきだと思うし、また入っていなければならないと考える。
 もちろん、これらが事例を挙げていたとしても、一例に過ぎない。一人ひとりこころが異なるように、その状態も、またそれへの対処も異なる。あくまでも「参考に」という本書の忠告は当然である。だが、あまりに具体的であると、参考どころではなく、正にそれをしなければならない、あるいはそれをしてはならない、ということをひしひしと感じざるをえない。
 中には、当事者の声がある。自殺を四度も試みた方の文章は涙なしでは読めない。もちろんこの「四度」というのは、リストカットは含まない回数であるから、聞くだけで怖い話でもある。だが、そのような人だからこそ分かる心理というものも、こうして証言できるわけで、貴重な声だと思う。その人は、カトリック系の学校にいたことが、後々保護観察状態になったときに、修道院で世話をしてもらえるというところに行き着き、洗礼を受けるに至ったという。だが、神を信じられなくなる状態というものがあることを、克明に語ってくれる。ほんとうに貴重な声であると思う。その人の証言では、教会だからこうした人の気持ちが分かっているなどということはないのだという。ある神父の非常に無理解な様子をも証言している。医師にしてもそうだが、人さまざまなのである。
 こういう声を聞くと、教会は尻込みしてしまうかもしれない。そんな人と関わらないという態度をとることもありうるはずだ。しかし、多かれ少なかれ、教会に救いを求めてくる人は、何か弱いところを有しているのであり、一応社会的か科学的には、病気だという線引きをしたときに、その内側か外側かということで判断することになるだけである。
 ともあれ、前半の知識だけでもまずはご覧になるとよい。専門家でない素人がこれを読んだくらいで精神疾患が分かるなどと考えてもらうのは絶対によくないことだが、何も知らないよりは必要な心得があったほうがよい。特に、各方面で気にされていることが、支援者の方が倒れることである。支援者が逆に精神的にやられるということが日常茶飯事として起こりうるわけで、それを避けるためにも、知識は役立つのである。
 震災や犯罪による喪失について、素人が何を対処できるかということは、当然弁えておかなければならない。だが、口先だけで「共に生きる」と善いことをしているつもりでいるよりは、この現実や裏腹を聞くことだけでも、なかなかの経験となるのではないか。
 阪神淡路大震災でとくに、PTSDが大きく取り上げられたのは、私が各所で触れている通りである。しかし、本書は東日本大震災の翌年の発行である。阪神のときとは質的にも量的にも違う被害の中で、悲しみは簡単には癒えるはずもない。まさにその当時の空気の中で、またその対処に奔走しているときに、この本は作られた。それだけに、心のこもった、そして切実なものとなっている。あまり知られていない本だと思う。私も特殊な古書の棚で見つけた。だがこんなにいい本はないと感じた。教会に何ができるか。教会が、こころを病む人とどうかかわるか。信仰によって解決する、などとは言わない。むしろ、こころを病んだ人に対して、信仰で解決しましょうとか、ほかにも悩んでいる人がいるとか、実に心ない最低の対応をする教会の有様も、地味に告発されている。確かにありがちだろう。だがそれが如何に間違っているか、そうしたことも本書は教えてくれる。もっと多くの教会関係者の目に触れてほしいと願う。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります