本

『「心の病」はこうして作られた』

ホンとの本

『「心の病」はこうして作られた』
小倉謙
平成出版
\1300+
2015.5.

 過激な本であった。副題は「精神医学「抑圧」の歴史」という。主張ははっきりしている。精神医学の全面否定である。
 著者は法的な観点からこれを訴えている。個人的な体験から、精神医学における薬物の使用の例を目の当たりにして、いきり立ったというようなことが最初の方に記されていた。強い主張がその後も展開されていく。
 言いたいことはよく伝わってくる。まずい例があることは分かる。だが、それを指摘するにしても、もう少し大人に言えないものかと思う。言葉遣いや口調からしても、中傷と皮肉ばかりが続き、不愉快な気持ちになってくる。もちろん、それくらいに事態は深刻なのだということなのであろうし、被害に遭った方々のことを思うと、なんとかしたい、またそのようなことが繰り返されてはならない、とは思う。しかし、キリスト教系病院に精神科があるから、もうキリスト教も全部すっかり精神医学という毒牙にかかってやられてしまった、というのも極端な主張だ。これだと、人々の賛同を得る道を自ら塞いでいくようなことになりかねない。
 最も気になるのは、誰それがけしからんこんなことをしている、と毀損になりかねないようなスキャンダルを立て続けに述べているのに、その根拠を殆ど挙げないことである。いついつの新聞に書いてあるとか、こういう論文にあるとか、医学会が宣言しているとか、何かしらその理由なり根拠なりが示してあればそうかしらと思うが、殆どすべてが、ただの言い放ちである。こういう叙述を読んでくると、最初はこの著者の言うことも尤もなところがある、と思って読んでいても、だんだん読者は引いていく。これはただの言いがかりで、相手は鬼か悪魔であると妄想した人間が、とにかく自分は善、相手は悪という図式の中でひたすら敵を罵倒していくだけの本だな、というふうにしか思えてこないのではないか。
 仮に、それらが事実であったとしても、非常にまずい手法である。まして、論拠が示されないとあると、思い込みの激しい人だという目でしか見られなくなるし、これだけ個人攻撃も重ねてくると、自ら名誉毀損行為をしているのではないか、とまで思えてくる。
 たとえば、警察で取り調べの行き過ぎが問題になっている。そのような例があることは確かだろう。だが、だから取り調べというのは人権侵害であり取り調べは社会悪であるから、一切取り調べなどなくすべきだ、と主張する人がいたら、どうだろうか。では警察が逮捕や取り調べをなくすことにより、社会悪はなくなるのであろうか。学校の教師が子どもに対して悪しき指導をした、あるいは犯罪行為に及んだ、という例がいくつも報道されるが、それゆえに、教師を子どもに近づかせてはならない、と主張するべきなのだろうか。
 精神医学の中にも、いろいろと問題があるだろう。安易に薬物に頼るというのも改善の余地はあるに違いない。しかし、そのために助けられた人も少なくないはずである。たしかに、被害者としか言えない人もいるだろう。だが、事態が改善した人は、それよりもずっと多いのではないか。この本には、精神医学の効用というものが全く書かれていない。読む限り、精神医学は全面悪であり、この世から抹殺すべきものであるとしか書かれていない。このような書き方では、人々には理解されないであろう。
 精神医学は「医学」でも「科学」でもない、と指摘する。ではその「科学」とは何のことなのか。「科学」とはこういうものであるものだが、その条件を満たしていない、条件に反する、そういった論旨があって然るべきだが、何もない。ひたすら精神医学は悪であるということを吐き捨てるように続けていく。
 心の病は、ある意味で誰もがもっている要素ではなかろうか。心の闇と簡単に言ってしまうことについて、かつてそれでよいのかと疑問を呈したことはあるが、何かしら暗い部分は持っているだろう。多くの人は、それが大きな問題にならないようにして、社会生活をしている。だが、そんな安心できる人ばかりではない。そこから逃れたいとか、救われたいとか、そう思う人やその家族などはたくさんいる。精神医学がその救いのすべてだとは思わないが、一定の役割は果たしているのではないか。そして、たしかに著者が指摘するように、過去の歴史の中でも座敷牢など、今の人権思想からすればとんでもないことが当然としてなされていたことは事実であろうし、私たちの意識も変わってきたから思うのかもしれないが、悪しき事実はあるだろう。そこから少しでも、と改善してきたのも歴史である。また、それでもなお問題が消えたとは言えないものだろう。薬物その他問題があるならば、改善しなければならない。前向きに改善していくためには、精神医学の会合のあるときに、この本のような一方的な悪行を書きなぐったビラをばらまくようなことをするのではなく、事実と論拠を重ねて、それなりの主張の仕方で、世論を味方につけるようにしていくほうがよいのではないか。自分だけが正義の味方を演じていくことは、得策ではない。私の拙い経験からしても、そういうものではないかと思っている。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります