本

『こころの旅』

ホンとの本

『こころの旅』
神谷美恵子
みすず書房
\1500+
1982.6.

 学生時代からあった本だし、名著と評判が高かったし、どうして今まで読んでいなかったのだろう、と私自身理解できないでいる。
 人の一生、どういう心持ちで生きるのか、よくぞこれだけ書けたものである。年齢を重ねなければ書けない部分はもちろんあるが、そうなればまた若い時代の心理というものが実感のないものになりやすい。そこが心理学者、いや精神医学の専門家である所以ではあるのだろうが、それにしても見事である。わくわくして読ませて戴いた。
 構成そのものは地味である。産まれてから幼い時代、それから学習する学童期、それぞれの時期に特徴的なことが指摘され、そこで養われる心理を深くえぐる。時代的な条件もあるのだろう、いくつかの心理学説を頼りにしながら、決してどれかに傾き加担するのではなく、バランスよく人間を捉えていこうとしているが、それはもしかすると学問的には物足りない叙述方式なのかもしれないが、一般の私たちが読むにはそのほうが分かりやすく親切である。概して、フロイト、エリクソン、ピアジェが比較されているから、私たちとしても、それぞれ著名でもあるしタイプが違うし、いろいろな角度から人間の心理が照らされるようで、私はそれでよいと思う。
 しかし、たんに学問的な成果が並べられていても、やはりつまらないだろう。著者自身の経験からくるものであろうが、感慨深く語られるとき、そこに詩が流れ、風が吹くような気がしたのは私だけだろうか。
 向老期に、第三のコペルニクス的転回があるとする「人生の秋」というあたりには、いまの自分にぴったりの叙述がたくさんあり、とくに心を踊らせて読むひとときが与えられた。そこには「永遠の時間」について述べられた部分がある。一生のうち「永遠の今」を瞬間的にでも味わう恵みを与えられた人もある、と何気なく書かれているが、ここは重い。実に聖書の真髄を描いているのではないかと私は驚いたのだ。現にこの直後には「神」が挙げられ、そうでなければそれを「超越者」と呼び、それをペルソナとして考えることをすばらしいことだとしている。しかしそれは同時に、人間の精神の限界を示している、とも言っている。ここは信仰の核心があると私には思われてならない。クリスチャンはこの本に示唆を受けることが多々あるだろうと思うが、このあたりについては、ゆっくり味わってみることをお勧めする。
 著者自身も、キリスト教には影響を受けているはずである。ただ、特定の宗教の信徒になろうとしたのではないようである。仏教などにも造詣が深く、およそひとが思い描く神的なものにも多大な関心を寄せた末に、こうしたこころの旅としての一生を描ききったのではないかと思われる。
 中には、病気のためにこうした心理をもつことができない環境を余儀なくされた人もいるだろうということに気遣いながらも、本書の性格上、さしあたりそうではない立場の人間の心理を年代的に追っていくのだと断る場面もあった。配慮が行き届いていると思った。こうしたこころへの配慮がある人は美しい。どうにもそういうのが見当たらず、偉そうなことばから口から発するのが当然といった世の中てあるように思えるときがあるからだ。
 この著作集においては、本編の後に、さまざまな読書批評のようなものが寄せられている。多くの読書雑誌などに寄稿したものを集めると、それらのどれ一つとってもパターン化した手抜きの文章はなく、一つひとつの本に対して、まさに人格に触れるかのように大切に向き合い、本を愛し読んだ末に、ひとりの人格として誠実に本について語っている様子が伝わってくる。こうした著者の人となりを知ることにより、改めて「こころの旅」への信頼も強くすることができるものだと思う。
 今更ながらにうれしく読み、それゆえにまた、誰にでも推薦させて戴こうかと思う。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります