本

『「こころの目」で見る』

ホンとの本

『「こころの目」で見る』
鈴木秀子
清流出版
\1575
2004.12

 サン・テグジュペリの『星の王子さま』のキツネのせりふが想起されるタイトルである。著者も、そのことに触れている。
 世界を変えるのは簡単なこと。世界を見る自分の目を変えたらいい。そんな話を、私も「炭火」に記したことがある。私たちが世界をどのように見るかによって、傷つき張り詰めた魂が癒され、自分の周りの世界を実際に変えていく力があるということが、この癒し的な主張の本は提案している。
 不思議な魅力に溢れていた。それでいいんだろうか、という気持ちが起こってきても、だからどう反論するのかと問われれば、何も言えなくなる。いつの間にか著者のペースに乗せられて、私はその世界にとっぷりと浸ってしまった。
 シスターだそうである。いわゆる修道女という立場である。
 聖書の言葉を魂の土台に置いている。だが、聖書の言葉を押し付けがましく見せ付けるわけではない。時折持ち出しても、さりげない印象を与えるもののようである。
 社会問題の陰に、こころの目の必要さが問われる。たとえていうと、私たちの手の、指の先の世界が、目に見える「ドゥーイングの世界」であり、手のひらなどの目に見えない世界のほうを、「ビーイング」と呼ぶそうである。まるでプラトンのイデア論を説明しているみたいであるが、これらの概念を基に、著者はさまざまな社会問題にも言及していく。見えない世界を想定していくとき、解決方法があるのではないか、と。
 どこか怪しげな心理学や宗教的な気配を示しそうな記述の中で、やっぱりそれとは違うのだ、と思わせるものが、最後に用意されていた。それは、著者の臨死体験である。それがどんなふうであったかは、皆様が実際にお読みくださるのがいいと思う。そのとき得られるであろう感想を、ここで無粋にも述べ尽くすようなことはないようにしたい
 最後に記されたこの臨死体験は、この本の動機の中心のようである。私たちはそのまま、今自分の立つ場所からどう行動を起こせばよいのか、ヒントが与えられるのではないか。
 ともかく、見えないものに目を注ぐというのは、聖書から生きる知恵を得ようとする場合に、外すことのできない言葉ではないかと思う。
 不思議な魅力のこの本であるが、信頼度は高いように感じた。




Takapan
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