『心 日本の内面生活の暗示と影響』
ラフカディオ・ハーン
平井呈一訳
岩波文庫
\760+
1951.2.
高校のとき、ハーンの『怪談』が好きだった。きっかけは、中学校のときに簡単な英語で触れた「むじな」だったかと思う。それの原典を手に入れて、暗記しようかと挑戦した。畑正憲さんが、ポーの作品を英語で暗記したら、英語で分からないことはなかった、と書いていたことを信じたのである。結果、「むじな」を暗記することもできず、英語は分からないことだらけとなった。
しかし、物語は好きだった。それがいまになって、ふと見かけたこの『心 日本の内面生活の暗示と影響』で、あのころの気持ちが少しばかり蘇ったから、本というものは不思議なものである。
これは日本人論だとも言える。だが、いっそう文学的に、外国人の目から見た日本人の特徴が描かれている。論じるような口調のものもないわけではないが、概してそうでなく、描写の記述性に富んでいる。日本人自身が日本人を論ずると、尤もらしく見えることがあるが、傍から見える風景ではないために、何か違うような気がするわけで、かと言ってただ外見から好き勝手に日本人論をかましている声に従う気にもなれないことから、日本に暮らし結局日本人となったような人、しかも文学的に秀でた人の文章というものは、耳を傾けてみる価値があるのではないか、と感じたというわけである。
最初の「停車場で」は、私にはよく分かるが、ハーンからすれば、いくらか奇異に感じられたことなのだろう。夫を殺した犯人の前に、その妻と幼子が現れる。警官は、その幼子に向かって語りかける。その犯人のことを「ようく見てやるんですぞ」と言い聞かせるのだ。周囲の者も、そしてその警官も、涙を流すのだった。
こういうものは、いわば小説と言ってよいかと思う。だが、かと思えばそれに続いて、「日本文化の真髄」を論じたものが並ぶ。「西欧人は永存のために家を建てる。それにひきかえて、日本人はほんの一時しのぎのために家を建てる」(p25)などと断じられると、比較文化としては安易かもしれないが、案外これは深い指摘かもしれない、と思えてくる。
日清・日露戦争のような時代である。また、21世紀には新型コロナウイルス感染症が猛威をふるったが、当時はコレラであった。そうした時代の情景を綴って教えてくれるものもある。当時の日本人が、一日15時間働いていることもあったようなことも、見えてくる。
ハーン自身は、キリスト教に対して反発をするようになったと言われる。だかキリスト教について無知であるはずがなく、日本とキリスト教の関係についても考えを述べているところがある。たとえば「キリスト教もやはり、日本人の感情生活や社会生活にしっくり調和するように改造されるまでは、ひとつの安定した形をとらないであろう」(p141)というが、これはいまも否定され得ないことではないかと思われる。もちろん、指摘していることがすべて正当だと言うつもりはないが、「日本は、どこまでも、自国の精神を発展させて行かなければ駄目だ。異国の精神などを、借りものにしてはいけない」(p147)というように、日本人の一部が手を上げて喜ぶようなことも発言している。
キリスト教に関する西洋批判については、なかなか強烈なところがあるので、少し長いが引用してみたい。「西欧諸国においてさえ、こんにちなお、百万の愚民は、軍事力とキリスト教とのあいだに、なにか神聖な関係があるものと想像している。そして、教会の壇上から、政治的侵略は神のみ心によるものだと主張したり、強力な爆薬の発明を神託だなどとうそぶいたりするような説教がおこなわれているのである。いまでもなお、われわれ西洋人のなかには、キリスト教を信ずる民族は、他の宗教を信ずる民族を略奪し、これを絶滅させる天職をになっているものだという迷信がのこっている。」(p182)これは、青年節がキリスト教を信ずるようになったが、結局捨ててしまったという苦い経験を宣教師がもったという物語に交えた批評のようなものである。
また、「神々の終焉」という短い文章の中では、仏像に関する関心を表現した後、「因習に堕した信仰に倦み飽きている西欧人」(p214)というような言い方もぶつけている。そして、仏道を説く言葉に添えて、西欧にこうした「導師」が早く来ることを待望している、と結んでいる。
また、東洋人の考えで西洋人と著しく違う根本的観念として、「前世の観念」(p215)だと指摘している文章もあった。ここには、仏教をメインに、宗教思想がたっぷりと論じられている。いまも読み直す価値があるのではないかと思われる。
それは「祖先崇拝の思想」(p255)にも言える。こちらは神道がメインであるが、神道出言う「神」が「上位にある者」「優れたる者」「上に在る者」「崇高なる者」などを意味するというに説明し、だから死者が「神」となるのだ、と指摘している(p257)。これも非常に長い文章というか、論文というものであると言えようから、なお読み直して然るべきではないかという気がする。
こうした堅いものと、情感溢れる物語とが交互に並んでいるのも、案外面白い。こうしたハーンという人、また本書の内容については、末尾の「解説」に詳しい。できれば本文を読み終わってここに触れた方がよいとは思うが、お時間のない方は、この「解説」だけでも、目を通しては如何だろうか。考えさせられることが見つかるかもしれないと思う。

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