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『ここが変わった!「聖書協会共同訳」新約編』

ホンとの本

『ここが変わった!「聖書協会共同訳」新約編』
浅野淳博・伊藤寿泰・須藤伊知郎・辻学・中野実・廣石望
日本キリスト教団出版局
\1200+
2021.3.

 2018年末に、およそ30年を経て新しい聖書を発行した、日本聖書協会。その名前を「聖書協会共同訳」と、長い名前にした。それまでの新共同訳の普及が著しかったせいもあってか、この新しい聖書の普及は、教会単位でどのくらいになっているか、私は全く知るところがない。身近に聞く事もないし、データも出てこない。
 当初から、新しい訳がどのように違うか、様々な形で紹介されてきた。パイロット版を出して意見を聞き、改良するということもしていたが、発行後も、訳者によって紹介するブックレット的なものが出されている。今回もそのひとつであろうという見かけであった。
 だが、それは良い意味で裏切られた。本書は、聖書の注解に携わるグループにより、新約聖書に限ってだが分担して幾つかの項目について書いたものであり、中には厳しい批判もなされている。従って、単なる宣伝であるのではない。これは評価すべき点ではないだろうか。
 ある箇所を取り上げ、この聖書協会共同訳に対して、同社の直前の新共同訳、それから系統の違う、新改訳2017が、基本的に比較される。時に、この新改訳のその前のバージョンと、聖書協会で息の長い口語訳も持ち出されて、訳の違いが明らかにされており、親切である。読者は一目で分かる。
 その上で、様々な角度から本格的な検討がなされるのである。それぞれ読み応えがある。
 たとえばクリスマス物語でおなじみの「東方の博士たち」は、かつてよく馴染んだ表現であったが、新共同訳では「占星術の学者たち」というように思い切った変更がなされていた。「魔術」の語源となった呼称があるとはいえ、星占いという言葉で私たちが連想するものとは異なり、本格的な科学者であり哲学者であったことが推測される人たちである。これに対するユダヤ教の評価から、日本での様々な訳語の違いも掲げ、1960年代から占星術の響きも加わってきている歴史を教えてくれる。新共同訳以来、個人訳も、星占いの方に傾くのであるが、本書の担当者は「占星学者」辺りがよいのではないかと提言している。
 しかし、この聖書協会共同訳は、日本聖書協会としては画期的に、欄外に別の訳や、直訳のままの姿などを注釈する形式をとったものを用意しており、こちらで「占星術の学者」を脚注に示している。これは理解の幅が拡がるよい方法であると言えるだろう。「博士」を採ったのは、簡潔で引き締まった訳であるという点では評価するものだとしている。
 さらに、マタイがこの場面を描いた理由やその描き方にも触れ、読者はただ翻訳の違いの検討場としてだけではなく、聖書そのものを理解し深く味わう機会として、本書を利用することができるであろう。同時期の他の文献にも触れることにより、結局は「占星術の学者」を推奨するのであるが、美しさと正確さと、どちらを優先させるのか、読者に問う形で結んでいる。
 翻訳上問題の多い箇所も果敢に検討し、それぞれの訳の違いがどのような考えに基づいて起こったのかということも解明してくれるのは、とても親切である。考古学や歴史の資料も駆使して、ギリシア語の意義はもちろんのこと、それはどういう信仰に基づくかという点にも目を配るなど、心憎い配慮が随所に見られる。
 そういうわけで、これは決してコマーシャルでもないし、必ずしも簡単なご紹介というものでもない。小さな本ではあるが、なかなか内容豊富であり、凝縮した知識と信仰とを堪能できるのではないかと思う。
 31番目、最後の項目では、四角で囲んだ「異」という表記について説明されている。「異読」ということだが、翻訳の底本の採用とは異なる読みを訳したものである。写本が多いために、一応の標準底本は掲げるものの、その通りにすべて従うのではなく、必要に応じてより適切と思われるものを採用したという点を説明している。そこに、「注のついたものこそが「スタンダード」であるべき」だと書かれてあるのが心に残った。この人は『福音と世界』で新約聖書の、それはそれは細かな釈義を連載してきた。思い入れは一入であろう。そして、なぜそう訳したかという注解書が必要だと述べ、これからの自分の仕事と重ねているような声も載せている。
 ともかく、引照などの付いたものをどうぞお求めください、というふうに念を押しているが、その際、神の言葉を奇妙に絶対化するのではなく、異読を含めて伝えられてきたことに意味を見出すという考え方は、私と同じである。
 それにしても、この新しい聖書の発行から二年余りを過ぎてのこの検討書が「はじめに」の冒頭で、「もうご覧になったでしょうか」と問いかけ、読もうとする方、これまでとどう異なるのかを知ってから購入したい方も「少なくない」と始まっているところが、少し寂しい気がしたのは、私だけだろうか。




Takapan
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