本

『聲の形 公式ファンブック』

ホンとの本

『聲の形 公式ファンブック』
大今良時
講談社
\800+
2016.9

 いじめを正面から描いて話題になり、アニメーション映画にもなった『聲の形』。これを世に出すとき出版社も腹をくくったようだったが、世の人はそこに大きな共感をもつことができた。壮絶ないじめが描かれる。見ていて胸苦しい。また、傍目に相当に性格の悪い面々が登場し、互いに傷つけ合い、しかしなおかつ小学校卒業後もずっとその輪が壊れず結びついている。不思議な空間に読者は誘われる。
 なによりも話題になったのは、主人公の一人、西宮硝子が殆ど音が聞こえないという設定だ。著者の親が手話通訳をしていたことから、手話についての理解があり、また聴覚障害者の日常や問題を知っていた故にこそ描けるキャラクターであったかもしれないが、これはまたろう者など手話文化の中にいる人の支持を呼んだとも言える。
 確かに、胸がスカッとするような物語ではない。ついには自殺を図るなど、陰惨でもある。しかし、読者は感情移入した。この苦しさが分かる、と。
 私は連載当時から注目し、単行本化されるのを待ち受けて揃えていた。後にこのファンブックが出たことは知らず、また知るようになっても、手を出すのを控えていたのだが、京都アニメーションの放火事件により、いま読まないといけないと思わされて購入した。そう、『聲の形』は、京アニの作品であった。それは上映当時から知っていた。博多の映画館で席が取れなかったために直方までその足で飛び、鑑賞したのは、あの「君の名は。」を見てからのことだった。映画をつくるというひとつの大きなテーマまでは、限られた時間の映画の中では描けず、自殺未遂とその巻き添えのようにして生死の間をさまよった将也などはよく描かれていた。
 作者によるネタばらし、と言ってしまうのはもどかしいが、この本には、作者の20時間に渡るインタビューの内容が詰まっている。描かれた背景を知るのに、これ以上の資料はない。そもそも正式にこの作品が連載される前の、最初のラフだったとも言える作品が紹介され、後は読者からの質問に丁寧に作者が答えるというコーナー、そして編集者と作者との間で作品について語るという場面も掲載されており、確かにファンブックの名に相応しいものとなった。
 それで驚いたのは、一つひとつの場面に、なんと思い入れをこめ、また意味をつけて描いているかということだ。もちろん多くの漫画家がそうなのだろう。だが、一つの視線や差し出した手が右か左かというところ、もちろん言葉の一つひとつにまで、それぞれのキャラクターの思惑や心情が見事に意味づけられているということに、深く感動した次第である。
 一人の主人公から見た景色の場合、その心象で描かれていくから、ある意味で意味づけは簡単である。しかし、ポリフォニーばりにたくさんの人物の心理が描かれると、一人ひとりの性格と差異がすべての行動や言葉を説明しなければならない。これを見事にやり遂げていることが伝わってくる。大した作家である。
 アニメーション作品もそうだが、実写とは違い、すべては描く人、設計する人の思惑でしか画面ができない。俳優の解釈とか、偶然的な画の魅力とかいう要素がなく、すへでが計算ずくの上での画となる。一つひとつにすべて意味がある、というのは、アニメーション制作者の声としてよく聞くものだが、漫画ももちろん、その通りである。なんとなく作られているのではない。それが、本書では痛いほどよく分かる。
 作品としても立派だったが、その意味づけをこのように明らかにしてくれると、自分の読み方がいかに浅はかであったかが教えられる。もちろん感じていたところもあるが、そこまで深い心理を解き明かすことは、自分にはできなかった。
 決して、手話を表立たせるための漫画ではなかった。決していじめを描こうとしていたのではなかった。これは、私たち誰もが悩む、コミュニケーションの出来事なのであった。ひとの気持ちが分からない、分かりたいけど分からない、分かるけれど伝わらない、伝えられない、そうした様々な要素が、ろう者や手話、そしていじめというツールで、叫ばれていたのである。その作者からのコミュニケーションを、果たして読者が伝え受けていたかどうか、そこがまた問題であるのかもしれないけれども。
 いずれにしても、作品を知る人には手にとって然るべきものだと熱く思う。




Takapan
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