本

『子どもという世界』

ホンとの本

『子どもという世界』
キム・ソヨン著
イム・ジーナイラスト,オ・ヨンア訳
かんき出版
\1500+
2023.7.

 韓国語を日本語に翻訳した方の日本語は見事である。平易な日本語で、子どものための、あるいは子どものためになる内容として大人に対するメッセージを、私たちに伝えてくれている。
 著者は、児童書の編集者を続けてきた後、「読書教室」で子どもたちに本を読むことを教えているそうだ。だから、何か今回自分のことを本にしよう、としたそうだが、どうも子どもの話を書くことに、自分の気持ちが向かっていることに気づかされたのだという。子どもたちの本を取り巻きながら、20年余りを過ごしてきた自分が、いま、子どもたちの世界について言えることを伝えたいという情熱に駆られるかのようにして、子どもの話を綴ることとなった。様々な思い出を含みつつ、自分の思いをぶつけつつ、短いエッセイ風のものが積み重ねられて、200頁を超える、あたたかみのある本ができあがった。
 一つひとつの実例は、一応仮名となっているが、生き生きとした子どもの様子がよく伝わってくる。それは、特別な子どもだというわけではない。どこにでもいるような、あたりまえの子どもたちの姿である。
 そして、そうした子どもたちのことを描くだけに留まらず、子どもたちを見つめている自分のことを思う。子どもたちの成長は、そばで子どもたちを育んでいる自分ないではない有様として、そこにあるのだ。子どもたちにより、自分もまた育てられているのである。
 その楽しさは、手に取って皆さまがご覧くださるとよいだろう。本書には、時折淡いオレンジ系統のマーカーが施されている。もし実例をお楽しみになる時間がなく、教訓のようなところを拾い読みしようと思ったら、そこだけを走り読みすると、著者の言いたいことの概要は掴めるかもしれない。しかしそれでは面白くないことは当然である。生き生きとした子どもたちの息づかいを味わってゆくのが筋道だと思う。
 著者自身、子どもがいない。韓国は、日本を上回るほどの深刻な少子化国である。だが、それぞれの個性を重視する様子ではあるらしい。だから、子どもにも個性というものを要求する、あるいは願うということがあるようだが、それならばその子の親にももっと個性を大切にしたらどうなのか、と提言もする。
 こうして、本書は一種の育児書となってゆく。事実、子育て世代からも本書は受け容れられ、多く読まれているらしい。2022年の Asia Book Awards を受賞したのだというから、韓国の人々になるほどと思われ、大切にされたのだろう。
 ただやはりデリケートな部分はあるのであって、少子化問題を社会的な視野では本書は捉えておらず、自分の前にいる子どもと対峙している自分がいれば、そこに子どもとの関係が成立しており、それ以上でもそれ以下でもない、というようなあり方の中で発言しているような気がする。現にいる子どもを大切にするということでは、問題は何もない。「弱者に安全な世界は、結局誰にとっても安全な世界だ」(p190)というのは本当だ。ただ、問題はその「弱者」とは誰のことをいうのか、という点である。私はその答えを知っているわけではない。しかし「弱者」という語の指す対象がどういうものであるのかについて、これを支持する一人ひとりが異なる考えをもっているとき、実はこのステキなフレーズが、混乱を招くものとなりかねない、という懸念をもつのである。
 自己肯定は必要である。しかし、自分はつねに「弱者」であるわけではない。私は自分自身が、ときに「弱者」を踏みつける存在である、という意識をもつことがある。子ども相手に仕事をしているから、子どもを大切にしているとは限らない。そうならないように願いつつ祈りつつ、その都度の事に当たることにはしているが、如何せん腑抜けな人間である、そうやっている言動そのものの中で、傷つけ、踏みにじっているようなことがあるはずだ、と覚悟している。その都度赦しを仰ぎながら、営んでいる。本書の著者ほどの自信は、私にはない。それだけのことである。




Takapan
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