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『子どものための哲学対話』

ホンとの本

『子どものための哲学対話』
永井均
講談社文庫
\420+
2009.8.

 電子書籍版を購入した。割引きクーポンを使う期限が迫っていた中で、読んでもいいものを選んだのだった。
 著者が「子ども」という言葉を使うのには意味がある。子どものための哲学というふうなタイトルの新書も出している。素朴な問い方をして哲学をしていこうということなのかもしれない。難解な言葉を用い、概念を弄ぶかのようにして論理の迷宮に入るようなことではなくて、日常の言葉を使って、子どもにでも、どうしてだろうと考える機会が与えられるような、そんな考察の場をつくりたいという気持ちなのではないかと想像する。
 ぼくにネコのペネトレが問いかけ、突っ込みを入れて、哲学的な問題を考えさせる。およそどこからでも読めるように、話題は短いままに、一口コントのように終わり、また突然別の問いの中に招かれる。どこからでも読んでよいそうだ。
 ペネトレーションテストという、既存のシステムに脆弱生がないかテストする、コンピュータシステムの言葉があるが、ネコを使って、皆が当たり前のように感じていることに、果たしてそうかな、こういう観点から考えてみたらどうなるだろうか、とテストしているようなところがあるので、意図してあるのかもしれない。
 飄々としたイラストが結構愉しませる。ところどころコママンガで本文の内容に茶々を入れるようにもなっている。読者を迷宮に陥れないための配慮があちこちにある。
 ほんとうにこの人生があるのか疑わせたり、言葉の意味とは何か考えさせたり、ペネトレはぼくに対していつも難問を突きつける。それらは、確かに既存の哲学の問いからも作られているので、確かに考える価値のあることではあるし、何よりも、そのように問うこと自体が哲学である。しかし、子どもが出会うような場面を様々想定して、そこから問いをつくるなど、あくまでも「子どものための」という建前をも尊重しているから、そのあたりはサービス精神なのかしら、とも思う。学校や友達というシチュエーションを用いて、問いを投げかけてくるのだ。
 科学的な問いももちろんあるし、論理学上の問題にも触れる。そして最後には、生きることと死ぬこととが問われている。
 軽いコラムのような読み物が集まっている、と考えるとよいだろう。決して本として一定の結末へ導くものではない。最後は「哲学ごっこ」と題してマンガにて、自分で問いを出して考えてみる遊びを紹介している。確かに「遊び」として考える気持ちは、哲学には当然あるはずだ。それを「子ども」というシンボルのようなものを通して、提供していると言えるかもしれない。もうひとつ「哲学キャッチボール」という遊びも提案している。こちらは対話をすることで考えることを展開していくというものだ。もちろんこれも遊びである。そのムードを決して壊さないように、と演出しているものと思われる。
 哲学者の思想に影響されていることは間違いないし、有名な哲学的問題を説いていると思しきところも多数見られる。従って、哲学史を踏まえて物事を考えるのでなければ哲学をしたことにはならない、などと考えがちな哲学の専門家の世界を抜け出て、誰もがちょこっと考えてみて、不思議だな、そういう考えもあるのか、とハッとするような場を提供し、そういう哲学を広めていきたいと計画している故の労作ではなかっただろうかと感じる。
 そのスピリットは受け継ぎたい。複雑に絡み合った思想のもつれた意図を解きほぐすかのように、あっさりとした問題の本質を愉しんでいくこと、それは案外、本当の哲学者としても、狙いたい本音であるのではないだろうか。
 気取らない、誰にでも手に取れるものは、小学生あたりでも読めるものだということになるが、最後のほうの、自分が生まれるわけについては、ちょっと露骨に大人じみているところがあるので、やっぱり小学生あたりは遠慮しておいたほうがよいかもしれない。そこさえなければ、小学生にもどうぞ、といきたかったのであるが。




Takapan
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