『いまの科学でいちばん正しい 子どもの読書 読み方、ハマらせ方』
堀田秀吾
Gakken
\1500+
2025.10.
基本的なタイトルは「子どもの読書」であるが、飾り言葉がたっぷりと付いている。「読み方、ハマらせ方」の方はまだよいと思うが、「いまの科学でいちばん正しい」というのは戴けない。科学なるものが正しいという前提であり、科学信仰に基づいている。その科学で正しいというのだから、これは最高の真理だ、という宣伝のようにして見せているが、科学はそれほど真理であるのだろうか。いやいや「いまの科学」なのだから、究極の真理だと言っているわけではありませんよ、と謙虚な姿勢を見せたとしても、「科学」なるものが正しいという前提で言っているのだから、いまはこれが真理だ、と突きつけていることに違いはない。このタイトルの冠は、よくないと私は単純に思う。
本書の叙述には、データもある程度示しながら、「○○大学の○○○によると」という言い回しがたくさんある。だから、著者の思い込みで綴っているわけではないのだ。世界各地から、教育効果について取り上げられたデータを集め、駆使してまとめ上げている、というわけなのだろう。その意味では、世界で概ね常識のように現在扱われていることを、読者にどんどんと紹介している、ということでよいのだと思う。
もちろん、それは2025年現在の常識である。たとえば体に栄養が何がよいとか、どのように食べればよいとか、医学的な常識として紹介されることがよくあるが、何年かすると、あれは違って実は云々、という紹介のされ方もするようになる。研究は日々更新されるために、本当にそうか、と調べる研究者が現れ、検証しているうちに、また違う結論が多数派になることもあるのだ。
親としては、我が子の一生に影響を与えるかもしれないことであるから、懸命になる。ここに挙げられたことを、一つひとつ我が子に実行しよう、と考える人もいることだろう。私が思うに、そういうノウハウ本だとして扱ってほしくない。それではまるで、○○が健康にいい、という声を聞くと、それをすぐに食べてみる、というようなノリになりかねないし、1か月くらいやってみて効果がそれほどなければ止めてしまう、といういつもの繰り返しと同じようになってしまうからだ。
教育は、それとは違う。長く付き合うものだし、とくに読書という、殆ど習性とか人格とか呼べる領域に拘る問題については、局所的対処でなにか変えることができる、というものではないと思うのだ。それよりも、本書は、子どもと読書と銘打ってはいるものの、指導する大人がどう自分を変えるか、という問題なのだ、と言いたい。親が変わらなければならないのだ。
親が本が好きでいつも読んでいるならともかく、親も殆ど本を読まないとか、子どもに読ませようとしてポーズだけとって読んでいるとかいう姿を見せているならば、子どもも読みはしないだろうし、読んでいるポーズだけとる処世術を身に着けるだけであるような気がする。親がテレビやゲームに明け暮れている家庭で、子どもが読書好きになったら、それは実に珍しいことだ、とまで言ってもよいと思う。
確かに、本を読むことは、言葉を増やすことに良い影響を与えるだろう。本書が指摘しているように、ラノベだから駄目だとか、マンガは意味がないとか、そんなふうには少しも思わない。だが、ラノベだけでは、思考力は身につかない。何もかも分かりやすく説明してくれる素材しか知らないとなると、やわらかな食材だけでずっと食生活を全うしているようなもので、噛まずに呑み込んでいるだけの咀嚼しか知らないというようなものである。実際、言葉も分かるし文も読めているように見えながら、内容を理解できていない、ということがいまは大きく問題になっている。私も現場でそう思う。国語の授業では、本人は読めているつもりであるのだが、経験に乏しいと、その語の辞典的な意味から見当を付けるのみであることが多いし、さらに言えば、文の「論理」というものについて意識していないので、論理的な展開について無知である場合が散見する。
たとえば、フィクションとノンフィクションのどちらの読書が学力向上に関係するか、という調査で、知識をも増すならノンフィクションかもしれないが、概してフィクションの方が、認知や社会性のため、そして考える力のためにはよい、というような書き方が本書にはしてある。もちろん、バランスの点は示しているのだが、フィクション優位のようにしか見えない。それでいて、動画もいいよ、ラノベもよろしい、ということが書かれてあると、どういう結論になってゆくか、それは明らかであろう。
様々な調査を本書は盛り込んでいる。ということは、著者の一貫した主張がない、ということである。一つひとつの調査を見ていけば、確かにそれは一理ある、と肯けるものが多いのであるが、さて、ではどういう読書を促そうか、ということになると、方向性が定まらないように感じられてならない。あれもいい、これもいい。結局バランスが大切だ。こういう展開では、読者は何を「信じてよい」のかが分からない。どれも尤もらしいことが並べられているのだが、ではいまから何を子どもに示そうか、となると、分からないのではないかと思うのだ。
そして、最も問題だと思うのは、読み方のあれとこれとどちらがよいか、という視点だと、そもそも本を手に取ることをしない子どもには対処の仕様がないことである。「環境」「喜び」「親のサポート」という三要素がそのために挙げられているが、私が先に挙げたように、親がまずこれらを自分の血肉にしているという前提が必要ではないのだろうか。
結局、すでに読書が好きでたまらない人間が本書を読むと、「そうだよね」と思えることばかりであるのだが、これから読書の世界に入る人に対して、どれほどの力があるのか、大いに疑問がある、ということになる。それは、宗教の信仰者の偉い人の実例をたっぷり挙げてはみたものの、そもそもその信仰をもっていない人に、だから信じましょう、ともちかけたところで、魅力を覚えるものではないだろう、という構造と少し似ているようにも思われる。
なお、アクティブ・リコールについて書かれてあるところで、本を読んだ後で書き出すとよいことが挙げられ、「読書ノート」についての要点が挙げられているのだが、これはうまくまとめられていた。「今日読んだ内容を一言でまとめると?」「どんな場面が印象に残ったか?」「自分の考えや感情はどう変わったか?」――なんのことはない。この私のコーナーは、基本的にそうやって書いていたものに違いない。そしてこれは、読書感想文の骨子であるだろう。今度から、これを利用して教えてみようかしら、と考えた。
ところで、読書好きにさせる、というところが強調されているように見えるのだか、扉のような第1頁に、とてもよいことが書いてある。
未知の世界のことを知る――。/いろんな人生を追体験する――。/学校では教わらない知識を学ぶ――。/言葉のもつ力や美しさに気づく――。/本を通して子どもが/得られることはたくさんあります。
読書の方法やテクニックではなくて、ここをこそ貫いてほしい。「そのために」と読書好きにさせたい、という気持ちは理解できるが、読書が何故大切なのか。この動機を子どもに隠したままで、テクニックだけを用いようとするのではないか、ということだけが、私は気がかりである。読書は人生を変える、ここのところから、親はブレて戴きたくないし、親自身が、それを堪能する喜びの中にいなければ、子どもにだけ負担をかけるような営みは、間違っている。目的のない手段は、暴力になりかねない。これらの理想を、親が自分のこととして体験してゆくことから、始める必要があるのである。子どもは、意識せずとも、親の背中を見ているのであるから。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド