本

『子どもと本の明日』

ホンとの本

『子どもと本の明日』
倉阪鬼一郎
幻冬社
\1,500
2003.7

 子どもの本離れは深刻であるという。テレビにゲームに塾に習い事、というと、たしかに本に時間を使っている暇がないように見える。そのうえ外で遊ぶのも大好きだ。本は危機的状況にあるらしい。
 それは本当だろうか。現に、いくつかのファンタジー小説は、狂ったように売れて、あるいは読まれているのだ。ハリーポッターのシリーズのことだが、ほかにも『ダレン・シャン』ものも小学生に人気が高い。単純に、本離れだ、活字離れだなどとは言わない方がよいようだ。たぶん、本を読まなくなったのは、大人の方だ。
 児童文学者たちが、協力して一冊の本を作った。魅力ある児童文学とは何だろうか。それはとりもなおさず、自分たちの仕事の意義と夢を、きわめて現実的なレベルから表現したものである。
 子どもに向かって書くとはどういうことか問いかけ、読者という子どもをどう意識して書くものかと考察し、おもしろい本とはどういうことを思い出す言うのか問い直す。それを何人かの作家たちで執り行っている。  さらに、表現法の技術を具体的に論じるところは、やや専門的な香りもするものだが、読む側としても、こういう着眼でプロットが置かれ、キャラクターが設定され、ストーリーが展開していくという事実を知るので、理解の幅が広がることになる。なにせ、子どもと本をつなぐことなしには、彼らの職業は意味を成さないのである。
 学校側と図書室の司書たちが、うまく力を合わせて習慣づけるなら、小学生の読書は飛躍的に増大する。たしかに、すべての小学生が本を好きになるというのは、難しい。だが、読書嫌いな子がいてもよいわけである。全体として、本が好きな子が多くなり、好きになろうとする予備軍がどんどんその気になっていけばいい。実際、我が家の小学生二人は、読む、読む、読む。
 たぶんそれは、私たちが本を愛して読んでいるからだろうと思う。親が読まずしてお笑いテレビに明け暮れている環境で、子どもに本を好きになれというのは、あまりにも都合のいい注文である。
 この本は、その親の問題という点については、触れられていなかった。むしろ、書き手側と読み手側とのつながりや楽しみの共有を目指して、懸命に模索している姿がそこにあったように感じられる。児童図書を扱う司書もまた、こうした本を読んで、子どもたちと作家との関係を学ぶとよいだろうと思う。
 多くの作家の手によるさまざまな論点が並んでいるだけなので、ときにばらばらな意見のように見えなくもないが、子どもたちが読書をするよう真摯に願う思いが全編にあふれていた。はっとする指摘も多い。子どもと読書の問題を論ずるにあたって、今後この本を無視するのは難しい。
 想像力の枯渇は、精神としての人間の生死に関わることである。本は、子どもに対して好きであってほしい趣味の一つだ。親もまた、本に浸ろうではないか。




Takapan
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