本

『こどもギリシア哲学』

ホンとの本

『こどもギリシア哲学』
齋藤孝
オフィスジャパン絵
草思社
\1500+
2018.2.

 声に出す日本語などでもおなじみの齋藤孝氏は、先般聖書にも手を出し、声に出す聖書をもたらした。聖書朗読ならいくらでもしている教会関係者にとっては、どう受け止めればよいか分からない事態ではある。今回も、やはり「声に出して読みたい」というコンセプトで、しかもこどものためのものとして組まれたものである。題材は、ギリシア哲学。ギリシアの文学も声に出すにはよろしいかもしれないが、哲学ときた。もちろん、それは日本語である。これをギリシア語で朗読するなら大人としても乗れるのだが、とりあえずここでは邦訳を声に出そうという。
 大人相手なら、「ソクラテス以前」のような形で持ち出すところだろうが、ここは対象は子ども。そこは「発見の喜び」のような見出しを設けている。この辺りはうまい。その後「もっと知りたい」という題のもとで、ソクラテスからアリストテレスまでが取り仕切られている。ということは、同じソクラテスでも高校教科書にある少ない例だけでなく、いくらか膨らませて例が拾われているということになる。
 見開き右の頁には、可愛いイラストと、その句がかなり大きな活字でどーんと置かれているだけ。左の頁には、それなりの解説と教訓とが書かれている。この形式を終止崩さない。哲学の言葉の意味するところを、子ども社会の場面の中で使おうというのだから、かなり勇気が要る。もちろん限定された意味にしかならないだろうし、そんなに単純に割り切ってよいのかしら、と心配するときがある場合もあるが、概して無難にまとめている。やはりこういう場面では、教育者としての著者の才能が活かされるものだと感心する。
 しかし、である。私の持論を幾度持ち出せばよいか知れないが、これは大人が読みたい本である、と言いたいわけである。タイトルもルビもイラストも、どこをどうとっても子どものための読み物であるにも拘わらず、この解説ならば大人もまず誰もが理解できるだろうというレベルになっており、大人は労せず読み進められると思うのである。難解な「おとな」の説明を前にして冷や汗を垂らしたり、途中で投げ出したりするのでなく、「分かりやすい」などと呟きながら、ずんずん読んでいけたら、頭への入り方もずいぶん違うものであろうと思われて仕方がないのだ。
 それでいて、それはどれもが人生訓になる。つまりは、教育課程で哲学とか宗教とかいうものに全く触れることなくして社会人になることのできる、この奇妙な日本社会において、それをよく分からないままに受け継いで、子孫にもまた、哲学も宗教も関係ないよね、といった人生観のままにバトンタッチしようと構えている年代のおとなに大して、大丈夫、哲学してみようよ、ともちかけるすばらしい企画の本であると理解したいのである。
 本書を手にするということは、哲学という名の授業を大学で受講しないかぎり知らないまま一生を過ごしかねない、ソクラテスやプラトンの思想に、やっとのことで少しでも触れてみる、好機であるに違いない。そうでないと、思い込みの強いままに少し聞きかじった哲学の本を見て、哲学とはこういうものだ、と決めつけてかかり、他人を批判するためにばかりそれをよく用いるという、どうしようもない大人になってしまう可能性すらある。ギリシア哲学には、存在論も認識論も含まれているはずなのだが、ここでは道徳や倫理、人生観のようなものとして描かれている点が、こども相手の仕方ない事態だとは思いつつも、哲学の基礎といったものを、抵抗なく、またできるかぎり誤解なく植え付けてくれるものとして、本書はおとなのためのチャンスでもあると考える。
 もちろん、小学生にもとてもよい。適切な哲学の指導を、信頼のおけるおとなに加えてもらえたら、さらによいだろう。とにかく、哲学は誰にも必要な営みであることは間違いない。




Takapan
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