本

『古代哲学史』

ホンとの本

『古代哲学史』
田中美知太郎
講談社学術文庫
\1180+
2020.12.

 田中美知太郎と聞いて、ぴんと来ない世代も増えてきたのではないかと案じている。日本のギリシア哲学の分野は、この人に大いに担われて展開してきた。もしかするともう古いということで、解釈や研究において、過去のものとされているのが学界の現状なのかもしれないが、文献をきっちりと読む姿勢を考える限り、依然として巨人であるというふうに私の目には見えている。
 1985年に亡くなっているので、確かにもうずいぶんと過去の方ではあるのだが、そのいくつかの文献をこうして新たに学術文庫に収めて発行するという、書店の心意気を買いたい。哲学史を、古代ギリシアから見るということは、西洋哲学を学ぶ上で、また現代思想に物申す上で、欠くことのできない視点である。もちろん、いまはその弊害も検討されている。アジアやアフリカはどうなのか。ラテンアメリカはどうなのか。西洋の思想だけが世界の思想なのか。そう考える必要ももちろんあるのだが、ギリシアとは何だったのかを反省することもまた、やはり必要ではあり続けているだろうと思う。
 これは1985年ははに、筑摩叢書のひとつとして刊行されたものであるという。含まれる文章は、戦後間もないものが三つ、1960年代のものが二つである。古代哲学についての概観が中心を占めるが、そう激しく詳しく説明を辿るわけにはゆかないコンパクトな中で、ハウツーもののように項目毎に無難な整理をしたというようなものではなく、概説を押さえながら、適切な批評や現代からの視点も踏まえての検討や総括も行うという、いわば芸術的なまとめかたが、羨望せざるをえないほどに連なっている。内容は高度であるはずなのに、専門的すぎずに読者を相応しく誘い、古代哲学の世界に導いてくれるのであるから、不思議である。
 もちろん、一部は激しく専門的に、文献紹介も行っており、これは初学者にとりうれしい情報である。著者の知るところのものであるだけに、紹介された文献は決して新しくはない。ざっと百年前の時代のものが目立つし、19世紀のものも多数並べられている。そのため、その後の研究書について改めて別の文献一覧を求めなければならないことは確かであるのだが、定評のあるもの、また何かと議論の根底に押さえておかなければならないであろうものとしては、十分なものがここに揃っていると考えてよいはずである。しかも、その一冊一冊の内容や特色、そしてどういう点で必要であるかなどの簡単なコメントも添えられているので、読者が選択する場合には実に親切であると感じる。案外、このような教育的配慮がなされた文献紹介というのが、ないものである。
 最後には、ヘラクレイトスの言葉の翻訳が掲載されている。これも極端に専門的すぎず、だが興味深いコメントも添えられて、誰それがヘラクレイトスの言葉かどうか疑っている、といった情報も付け加えられていて、大変ありがたい。それは、本当のヘラクレイトスの思想を理解する上で欠かせない情報であるからだ。私は哲学を学んだとき、まずこのヘラクレイトスに関心を強くもった。ソクラテス以前の哲学史においては実に魅力ある存在なのである。もちろんピュタゴラスも好きだし、タレスも人間的に魅力がある。だが私は個人的に、この時期の哲学者においてヘラクレイトスほど興味深く感じる人間はいない。ここに集められた分量は、他の古代哲学者の断片集より確実に多く、コメントも頼りになるので、読んでいて実に楽しかった。
 それから、本書はこうして田中美知太郎の哲学史の紹介をしたということで価値のあるものではあるが、驚いたのは、その「解説」である。担当者は、國分功一郎。近年私のお気に入りの哲学者の一人で、中動態の本が面白くてたまらなかった。また、新たな責任論の対談も楽しくて仕方がない。この「解説」では、田中美知太郎という人物像について必要最低限の情報を伝え、またそれが人間を知るためにたいへん効果的になされているということと、田中のプラトン理解についての説明がすばらしいということで、感動を覚えた。17頁にわたる解説だが、これを引き延ばして一冊の本にしても私は買うだろうと思うほど、面白いのである。また、役立つのである。哲学者とは何かというあたりの問いもここに盛り込まれていて、しかも田中美知太郎というところから離れないままにそれがなされているというわけで、これは一読の価値があるものと確信する。
 田中美知太郎は、実社会への発言も多数なしている。保守的であるとも言われる。だが、その保守の意味を、この「解説」は簡潔に私たちに示す。その中に、戦後の平和と民主主義の思想をわがもののように叫ぶ人々に潜む危険性がある。私もそれを強く感じる。それは田中のプラトン理解とも深いつながりをもつものであるのだが、それは、プラトンはイデア論という哲学を唱えたというのではなく、政治思想への意欲が体を押していたに違いないという理解である。私が大学で聞いた講義は、考えてみればこの田中美知太郎の捉え方に基づくものだったように記憶している。私の中でも、プラトンの理想への歩みとその挫折は、ずっと心の奥に残っていた。私へも、大きな影響を与えた理解であったと言えるように思う。
 本書をベースに、1985年以後の古代ギリシア哲学研究の本を読む、というのが、学ぶべきスタイルであってよいように、強く感じた。つまりは必携というわけである。




Takapan
ホンとの本にもどります たかぱんワイドのトップページにもどります