『神戸新聞の100日』
神戸新聞社
角川ソフィア文庫
\857+
1999.12.
文庫版発行の4年前、つまり1995年の秋に、単行本として発行されている。但し、この文庫化にあたり、その後5年間の歩みを綴った「被災地の1826日」が書き下ろしとして加えられた。
神戸新聞。阪神淡路大震災の地元の新聞社である。1995年1月17日、新聞社社屋は重大なダメージを受けた。全壊と呼ぶに値するものだったという。社員の内に亡くなった方がいないわけではなかったが、人材そのものは多く動くことができた。だが、印刷発行は不可能となった。
本書は、まず地震が起こる寸前の情景から描く。新聞社は、どのような状態の中で、この地震を受けたのか。読者は地震が起こることが分かっているために、ドキドキしながら読み進む。このなにげない日常が、一瞬にして、非日常に変わるのだ。
生々しい、ドキュメントが綴られる。そこはさすが新聞記者たちである。克明に、事態が語られる。文学的な修飾があるかどうかは別として、事態を的確に伝えるために何が綴られねばならないか、は熟知している。そのため、虚飾なしに、このときに何があったのかが私たちに示される。
このようなことの予感があった、などということはできないだろうが、神戸新聞は、事前に京都新聞と協定を結んでいた。正確には「緊急事態発生時の新聞発行援助協定」というが、成立したのは1年前であった。それがすぐに実を結んだのである。
もちろん、京都新聞社としても、大きな負担を強いられる。だがそこは協定である。そして、共に震災を乗り越えてゆく経験は、何者にも替えがたいものとして残ることになる。否、当時はそのようなことを考える暇すらない。
新聞社が、発行をしなくなったら、新聞社ではない。神戸新聞は、1月17日の夕刊を、発行したのである。もちろん、紙面は少ない。だが、新聞報道の炎は消さなかった。その夕刊のトップでは、「近畿で大地震」と掲げられ、死者は203人と報じられている。
他社の印刷機を借りての編集は、想像を絶する困難があったことだろう。そもそも、記事を運ぶ手段が絶望的であった。その後のコンピュータ制御とは違うのだ。ただ、コンピュータを使う編集は当時もなされており、何も大昔のように活字を組んでいたわけではなかったから、まだ運は味方した。とはいえ、記事も写真も、いまだ手作業のようなものである。交通手段がない。その中で、具体的に何がどう行われ、人々が何を考えどう意志決定したのか、そのレポートが、ここにある。これは実に驚くべき記録である。
翌朝18日の見出しは、「兵庫烈震 死者1300人」と数字が大きくなり、夕刊には「死者、不明2800人超す」となっている。
これらの記事を、記者たちが、まさに必死でつくりあげ、発行し、届けたのである。
もしこうした新聞がなくても、ラジオなどで情報は届けられたことだろう。いまなら、インターネットで幾らでも手に入ったかもしれない。停電という事態でも、なんとか道がつくれるものである。だが、人々を勇気づけたのは、新聞であった。
読者からの声が、新聞社に届くようになると、記者たちは泣いたという。読者も分かっている。新聞紙という温もりの中に、そこにあるインクのにおいの中に、人間の生きる真実があるのだ、ということを。
震災の記録として、そして記者たちの生きた証しとして、本書はずっと語り継がれるべきものである。しかしまたこれは、新聞という媒体の勇姿である。ウェブのような速報性はない。ウェブとは違い、届けられ方も遅く、また手間取るものである。しかし、そこには、人から人へと伝えられる「もの」がある。人は、それを受け取るのである。
文庫版に付せられたその後の記録においては、様相が変わり、地域再建へ向けての経済的な歩みや、人々の生活を救うための政策などについて、いくらか冷静に論じられている。これもまた必要なことだ。そしてその継続性は、いま完成しているとは言えないだろう。本書には、触れられていないことも当然多いのであるが、記者たちの新聞というものに懸ける思いと力がそこに描かれていれば、それで十分である。
私は本書を読みたいとずっと思っていたが、ついに震災から30年を経て、ようやく目の当たりにした。30年経っても色褪せないこの記録を、これから伝えるためのひとつの道になりたいと切に願う。

た
か
ぱ
ん
ワ
イ
ド