本

『傷ついた癒し人』

ホンとの本

『傷ついた癒し人』
H.J.M.ヌーウェン
西垣二一・岸本和世訳
日本基督教団出版局
\2000+
1981.8.

 聞き慣れない名前であった。いま出ている本は「ヘンリ・ナウエン」の名が掲げられている。20世紀の、スピリチュアリティの真骨頂である。などと記すと、思いつきの神秘的な精神世界を連想する人がいるかもしれないから、早めにお断りしておく。キリスト教の人であり、聖書を大切にする人である。ただ、そこから人の心に対する思いやりを深くし、ブームになるずいぶん前から、「癒やし」ということをモットーとしてきた人である。
 多くの著作がある。カトリックの司祭であるのだが、プロテスタントにもファンは多い。悪く言う人は見たことがない。プロテスタント系の大学で神学を担当していたほどである。必要に応じて著された数々の本は、世界中の傷ついた人の心を癒やし続けてきた。
 本書の題名は、正にそういうエッセンスの言葉が並んでいることになるが、よく見ると異様である。「傷ついた」という言葉が修飾しているのは「癒し人」である。つまり、癒やす人当人が傷ついているのである。
 その意味は、邦訳に付けられたサブタイトルを見ると判明する。「苦悩する現代社会と牧会者」のことなのである。
 カトリックで司祭というと、一般には「神父」という呼び方で知られているかと思う。一方、プロテスタントでは「牧師」と普通呼ぶ。本書は当然、その両方を含む形で、この「癒し人」を指していることになる。その神父なり牧師なりが、傷ついているというのである。あるいは、傷ついていてなお、癒やす務めに就いている、という言い方をしてもよいだろう。
 但し、本書の中ではそれを「牧師」と訳している。原語では「ミニスター」のことであるというから、政治的な大臣でないことはもちろんだが、通常の「神父」ではないとも思われるし、「牧師」だけでない指導者をも指す可能性があるとも思われるが、訳書の中ではすべて「牧師」と表現していることを、最後の最後の「付記」において明らかにしている。そこでは同時に、「ミニストリー」の訳語の苦労も書かれている。「牧会」と訳してしまうと限定されてしまうなど、どう訳しても十分ではないという理由で、「ミニストリー」と記すことにしたのだという。本当はこの「付記」は、冒頭で教えて戴きたかったと思った。
 二人の訳者は、別々にナウエンの著述に触れ、それぞれ感動して翻訳していたところ、出版局の意向で、短いこの二つの翻訳を一冊の本にして発行することになったのだという。一つは、神学部内で配られたようなものだったというから、ある意味で貴重である。この小さな偶然のような出版に、感謝したい。
 最初の方が「傷ついた癒し人」というタイトルである。現代社会における癒やしの必要性と問題点が検討されるが、1970年代の原稿には、「核時代」という危機意識が如実に現れている。もちろん、その意識が今もなくなっているはずはないのだが、いつしか私たちは、その危機に慣れてしまい、あまり危機だと感じなくなっているのではないか、と思わされた。考えてみれば、その方がよほど危険であるような気がしてならないのである。
 だから、なにも牧師だけの問題ではないのだが、途中で、精神的な病気の患者に対する、神学生の実例が長く挙げられ、どう導くとよいのかを具体的に考えてゆく機会が与えられる。
 その上で、牧師は自ら傷つく。とくに「孤独」という点で、独特の感覚に見舞われる。しかも、常に同時に、人を癒やす任務を実践しなければならない。しかしまた、イエス・キリストを見上げるときに、気づくだろう。その悩みは、キリストそのものではなかったか、と。イエスはひたすら癒やした。だがまた、孤独であった。牧師は、そのキリストを指し示す証人なのである。イエスの苦難と、人の傷とが結びついている。
 二つめのものは、「生きた想起者」という題になっている。副題は「イエス・キリストの記念としての奉仕と祈り」であるが、「想起」という言葉が貫かれている点を味わいたい。牧師は、思い出すという出来事を通じて働くことになる。それは、癒やすこと、支えること、そして導くことに於いてである。
 その中で、「物語」についての輝くような叙述があった。物語は「空間を創り出す」というのである。「私たちは物語の中にとどまり、歩きまわり、自分の場所を見つけ出すことができる」というのである。そして「物語は私たちを出会いに、対話に、分かち合いに招くのである」。この物語がある限り、そこには「希望」が伴う。互いに思い起こし、物語ることで、新しい物語が生まれる。私たちが、聖書という物語の場の中に生き、前進することができるのは、そのためである。
 牧師は、そのためにも、祈らねばならない。人と会うため、人に優しく接するため、などという言い訳をして、祈りを欠くようなことがあってはならない。まず神と交わることなしには、何の癒やしも与えられず、自身の孤独もなくならないのである。祈れ。本書のメッセージの核心は、そこにある。これだけは、たとえ本書を読まなかったとしても、知っておかなくてはならない。




Takapan
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