本

『「気づく」とはどういうことか』

ホンとの本

『「気づく」とはどういうことか』
山鳥重
ちくま新書1321
\820+
2018.4.

 サブタイトルが「こころと神経の科学」。確かにその通りで、内容を的確にまとめていると言える。ある関心からタイトルに惹かれて取り寄せた。テストの時に、返却されてから、どうしてテストの時にこの言葉に気づかなかったのだろう、と悔やむことは、誰しもあるだろう。いま見たら分かるじゃないか、と思ったり、どうして見落としたのか自分が信じられない、と嘆いたりしたことは、無数にあるように思う。
 親や教師は、それを、注意力のなさのせいにしたり、集中していないから散漫になっていたのだ、と評したりしがちである。だが、意識に上るかどうかは、やはりデリケートな問題だろう。何が意識され、何が意識されないのか。考えてみればそれはとことん不思議である。確かに注意力がなかったなどという説明しかできないこともあるが、では何故別のことは気づいていたのか。気づくとは何か。そのあたりが、私を誘った本署のテーマであった。
 著者が核心に構えるのは、サブタイトルのように「こころ」である。心は何からできているか。そんなことは哲学的にも大問題だったのであり、議論が百でも二百でもありそうなものだが、心理学というバックボーンから、著者はある程度断定的に紹介していく。「こころ」の哲学的な定義や検証をここでしようとするものではない。もちろん心理学の領域でいろいろと検討された末のことなのだろうが、その辺り、一般的な学説を伝えたり、その上で著者自身の立場や考えはこうだ、というように記すことが多く、良心的だと思った。読者は、一般論も知ることができるし、著者の解釈をも知ることができる。
 こころの中には、感情や心像そして意志があり、心理学的用語で馴染みがなさそうなものについては、その都度分かりやすい説明が加えられており、専門用語に疎い人でも、さほど苦労なく語りの中に入っていくことができる。その点は安心してよい。意志へと深まった説明は、一時神経系のやや専門的な内容に入る。エピローグにおいて、そこは読み飛ばしてもよいなどと書かれていたが、それはエピローグではなくて、プロローグで教えてほしかった。あとがきで言われても、時すでに遅しなのである。
 それから記憶のメカニズムについて説かれ、意識ということを前提に、意識されずとも記憶はありうることなどにも触れられ、その次にはこころを現象として捉え、やや専門的に、しかしまた哲学的な角度からも捉えるようになり、また「今・ここ」で発生する現象なのだという意味での「こころ」がひとつの結論のようになった。それは知性として扱われ、霊性という、理性で扱えないような領域のことも含めて、ダイナミックに扱う。少し神秘的な領域に踏み込みかけるようにも見えたが、そこは心理学に踏みとどまっているといえる。
 いずれにしても、専門用語が駆使される部分があり、なおかつそれを承知で著者はよく定義や具体例を通じてその語の概念を読者に提供していると思う。しかし、日常語を交えておきながらその概念を大いに変えてきているとなると、少しばかり定義の話を提示していても、読者は混乱を仕掛けられているように受け止めるかもしれない。
 最後にまとめられているところによると、「気づき」とは、「自分と自分をとりまく世界を知るための巧妙な仕掛けである」のだという。自分と外界とは関係づけられている。私たちは世界の中に「意味」を見出す。それがないと気づいていないことになるのだ。
 心理異常というか、欠陥や病気と見なされうる心理学的現象の場合、そのシステムのどこかがうまく処理できないでいるということになるのかもしれない。だから、心的な障害をもつと言われる人々は、こころの仕組みを探究するために非常によいデータを提供できる立場にあると言えるかもしれない。新書という限られたスペースで、これほどの厚みをもった知識の紹介と、著者自身の立場や解釈も交えながらこころないし意識のことを説明するというのは、やはりベテランならではの結実であったと言えるだろう。
 ただ、新書に対して文句を言うつもりはないのだが、私はまだ最初の好奇心が満たされないでいるのも事実だ。私たちは、何らかの「出会い」を経験するとき、それまで全く気づかなかったことに「気づく」ことができるようになる、そういうことがある。いったいそれまで気づかなかった聖書の意味があるときになるほどと気づかされる、といったその「気づき」は果たして本書の説明でカバーできているのだろうか。一時流行したが、「気づき」というのは、自己啓発の世界のためにも非常に期待されていたメカニズムであるし、社内教育でも社会生活でも、「気づき」が必要だとよく語られもしたので、意識していなかったものが意識できるようになるというその変化の根拠になるもの、その境界にあることについて、心理学の見解というものを尋ねてみたかったと思う。いや、それならここに書いてあるよ、と著者はいたずらっぽく私に本書のどこかを指さすかもしれない。しかし、これから何かまたこの領域でものを考えるときに、よい道標になるであろうことは予想できる。コンパクトでありながら、一定の知識や理解を提供してくれていると思う。文章も優れていたと感じる。




Takapan
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