『北風のうしろの国』
G.マクドナルド
田谷多枝子訳・真島節子絵
太平出版社
\2600+
1977.12.
文庫も出ているようだが、私が手にしたのは、ずっしりと重くて大きい、マクドナルド童話全集の第10巻であった。全部で12巻発行しているというが、たぶん本作が最も厚いだろうと思う。解説を抜いても450頁を超える。小学校上級以上の学習漢字には、ふりがなが振ってある。子どもが読むためのものとされていると思うが、それにしても暑い。
そして、これはファンタジーである。霊によってネタバレはしたくないので、ストーリーを追いかけることはしないが、いくらかはお伝えしておきたい。
主人公の少年はダイアモンド。貧しい境遇である。少年に、北風の精とでもいうのか、長い髪のきれいな女の人が現れる。この北風は、伸縮自在で様々な姿形に変わりながら、ダイアモンドと関わり合う。北風と共に町を冒険もできるのだが、朝にはまた普通の生活に戻っている。北風から聞いた「北風のうしろの国」というところに、少年は行きたいと願う。連れて行ってもらったその国のことを、ダイアモンドは大切に胸に抱く。とても嬉しかったのだ。
この経験をしたダイアモンドは、確かに成長する。周りから見れば、変な子というふうに見られはするものの、父が働けなくなると、父の仕事の御者を担うようになり、人には優しく接する子どもとして活躍する。
さて、北風とは何者か。物語には結末があるのだが、それはさすがにここでは明かさない。
マクドナルドは、牧師でもあったという。尤も、その説教はあまり人気がなかったようだが、作家や批評家である他にも、様々な顔をもっていたらしい。そして本作でも、その宗教観や社会批判なども盛り込んであると見る人がいるが、ただのファンタジーとして読んでゆくことも、もちろん可能である。だからこその童話としての出版なのだが、大人の読者も引き込むことができるというわけだ。
時折、ダイアモンドは歌を歌う。その場限りの創作をするのだ。幻想的でもあるが、確かにこんな歌を歌う少年がいたら、気味が悪いかもしれない。
訳者は、以前にもこの訳書を著していたが、それは抄訳であり、今回は全訳しているという。だから、これほどの大部となったのだ。また、一切略さず、原典の魅力をたっぷりと伝えるものとなっていると言える。英語は、恐らく英語としての文体があるのだろうし、それを活かしたいのはもちろんなのだろうが、日本語としてもとても読みやすく、子どもの語彙で十分読み進められるものとなった。
1871年の発行だから、もう150年も経ってから私は読んだことになる。確かにいまの社会やいまの子どもたちに合っているかというと、分からないと答えるしかない。だが、ファンタジーは、時代に塗りつぶされない真実を有していると思う。私たちは依然として、ルイスの作品を味わうことができるし、アン・シャーリーの物語に感動することができる。そう、このアン・シャーリーの作者であるモンゴメリが、この北風の本を愛して止まなかった、ということを耳にしたために、私は本書を読みたいと願ったのだった。モンゴメリもまた才能豊かな人であった。牧師夫人として作家活動もしていたので、説教者たるマクドナルドにも、近しい感覚をもったのかもしれない。
物語は、後半、北風が表に現れなくなる。それは、ダイアモンド少年の変化を、北風抜きで描こうとしたのかもしれないが、前半にあちこち冒険していたことからすると余りに場面が異なるので、もしかすると別の物語になったのか、と目次を私は確認したほどである。しかし、ちゃんと北風は最後の方で、また決定的な役割を果たす。少年は、北風にある種の恋をしていたのだろうか。ふと、「銀河鉄道999」の、鉄郎とメーテルを思い出したのだが、もちろん内容は遥かに遠く離れているとは思うが、私の抱いたこのイメージに、どなたか肯いてくださらないだろうか。

た
か
ぱ
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イ
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