本

『基礎講座 哲学』

ホンとの本

『基礎講座 哲学』
木田元・須田朗編著
ちくま学芸文庫
\1400+
2016.4.

 評判が、どこからか聞こえてきた。絶賛する声もあった。読みたくなった。1991年に発行されたものを、ちくま学芸文庫で再発行したのである。木田元先生は、2014年に亡くなっているため、特に手入れをせずに、文庫化したのだという。
 本書の特徴を二つ挙げると、まずこれが「看護学生」のためのテキストであったこと。最初から教科書としてつくられたことは、ひとつの企画としてあった路線かもしれないが、これは実は奥深い。医学は、生命を扱う特殊な分野である。ひとの体に傷を入れて罪に問われない職種は、ほかには殆どない。仕事の失敗は、人の死を招きかねない。私の家族にも医療従事者がいるが、その点での緊張感は、現場では半端ないという。本当にミスが許されない時間空間が、反日続くのである。
 もうひとつは、本書の形式である。前半3分の2が、西洋哲学の歴史を扱う。それはよくあることである。しかし後半3分の1が、問題提起がなされ、テーマ別に思索が深められていくという形をとっている。もちろん、そのような形式の本は他にもある。だが、歴史とテーマと、両方を並置している本は、記憶にない。
 哲学史のほうだが、その半分までが、古代から近代までを扱う。残りの半分が、現象学以降の現代哲学を扱っている。もちろん、1991年の段階での教科書であるから、そこで時計は止まっているわけなのだが、それでも、この現代への眼差しは、なかなか熱い。もちろんそれは、木田元先生が現象学あたりを専門としている故でもあるだろうが、いまを生きる私たちが、どういう枠組みの中にいるのか、それを考えることは大切であるため、適切な扱いであっただろうと思う。ただ、近代哲学が想定的に少なくなるわけで、その根本的なところが少し気がかりである。
 だが、さらに触れるべきことがある。歴史の本質、哲学のエッセンスをよく知る著者たちである。古代ギリシアを説明するのに、「自然」概念をどんと中心に据えた。ブレずに、そこから哲学を見つめる。これが痺れるほどに、いいと思った。ピュシスとノモスという対概念を正面に置いて、そこから西洋哲学を眺めたのだ。もちろん、それはいま私たちが日本語で「自然」と呼ぶものとは全く違う。そこを細かく説明する。専門用語を並べるのではなく、そこにある概念を、なんとか知ってほしいという思いで、易しい言葉で、繰り返し、またいろいろ角度を換えて語ってゆく。この姿が、私には非常に新鮮だった。
 プラトンの形而上学、倫理学、政治学、などを次々と繰り出して、説明したつもりになっている本も世の中にはあるが、それは書いた人のお勉強ノートを印刷しただけのようなものである。読者の心にぐいぐい入るようなことはない。恐らく書いた当人が、哲学の知識を得たとしてもその内実を体験して分かっていないのである。これは、礼拝説教を語る者を例に取ると、はっきりする。聖書のお勉強を話しても、説教にはならないのである。
 こうした姿勢が随所に現れており、哲学者の思想のあちこちを並べるようなことをせず、時代と思想の流れが目に見えるようになるほどに、人間のものの考え方というものを、次々と喋ってくれる。これがいつしか読者には快感になってゆくのである。
 現代哲学は、現象学・実存主義・マルクス主義・プラグマティズム・構造主義・分析哲学と、確かによくある区分で記していくのであるが、実際読んでみると、その特色に目が覚めるように感じるだろう。思索の体験をさせてくれるように、具体的な問題を取り上げ、読者の理解を実感させるようなものに引き寄せてゆく。抽象的な表現に頼らずに、その問題に恰も手で触っているかのようなふうに、綴ってゆく。
 こうして第2部が、先に挙げたテーマ別の思索の実例である。これも実に魅力的で、様々な問いを持ち出しては、様々な実例を伴った思索の旅を続けてゆく。
 その最初は「人間における自然と哲学」から入る。実は第1部の最初のほうで、思いのほか長く、人類の行動の科学的な解説がもたれていたのだが、第2部においても、ネズミやその妊娠などの話から入ってくる。これは、看護学生という場を考えると、その近いところに踏み台を設けた、ということなのだろうが、そこから次に「心と身体」と、親しみやすいようで、大変深い問題を提示する。この心身問題は、よく哲学史で言われるほど、デカルトが単純に考えていて失敗した、などと見なすべきではない。その辺りもフェアで、そこには確かにメリットがあった理由が示される。
 続いて「死の問題」によって、他と変わることのできない自分の問題を説き始める。患者の死にも立ち会うことになるだろう看護学生にとり、もちろんそれを他人事とすることはたぶんないのであろうが、死について考えた哲学者たちが、どういう点に着目したのか、それを辿るだけでも、ずいぶん大きな意味があるであろう。
 次は「人間の社会性」では、社会を見つめるが、なんとなく信仰の対象になっているような「民主主義」というものにはどのような意味があるのか、省みることになる。最後には、人間とは何かという問いそのものに潜む罠について警告を与える。それは「メタ言語」という問題である。通例ちょつと物事を考えた人が勘違いしてしまうような点に、注意深く触れながら、最後は「幸福」ということについて、そして「私」というものについて、思索のヒントを与えつつ、本は閉じられることになる。哲学にはその場合、「自覚」という大切な営みが待ち受けていたということなのだろう。
 信仰の問題は、もちろん語られない。語る場ではない。ただ、宗教的には、少しばかり違った角度からものを見る道があるのだろう、とは思う。命について、心について、そして幸福感というものが、単に長生きだけの問題ではないということを考えることで、看護学生には実入りのよい思索の道だっただろう。だが、患者の心理の中には、それだけで納得できるものばかりがあるとは限らない。本書の次には、人間の宗教心理というものについても、学ぶ講座があるとよいと思う。
 また、そうは言いながら、「基礎講座 哲学」というタイトルからなされるべきことについては、本書の役割はたいへんありがたいものであることを私は認める。もちろん、これは看護学生だけのものにしておくものではない。誰でも、一般の人で考えることに関心をもつならば、本書によって見えるようになるものが、多々あることだろう。
 確かにこれは、絶賛に値するものだった。このような説明ができるようになりたいものだ。そのためには、沢山の知識と思索が必要になる。それと、伝えたいという情熱と。




Takapan
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