本

『きらきら』

ホンとの本

『きらきら』
谷川俊太郎・文
吉田六郎・写真
アリス館
\1050
2008.11

 谷川俊太郎さんには、いつも「言葉の力」を感じる。誰もが知っている単語であるのに、それを使う場所、組み合わせる仕方によって、なんと命が感じられることか。いや、言葉そのものに命がある、と言って差し支えないだろうと思う。
 おまけに、この写真。中の頁は、表紙とともに、すべてブルー。それは空にしては不自然な色である。ミッドナイトブルーとでも言えばよいのだろうか、私には判別できないけれども。その色が、夜のようでもあり、また海の底でもあるように感じられる。緑は自然の受け継がれていく命を思わせるが、このブルーは、命を支える地球や宇宙をイメージさせるような気がする。
 そこへ、浮かび上がる雪の結晶。頁の中央にどでかく位置する結晶。頁によっては、その背後に小さな結晶がちりばめられている。ひとつひとつの結晶を、ゆっくり観察するゆとりが与えられる。すべて、形が違う。実に美しい結晶の写真。
 一頁に一言ずつ、言葉が載せられている。それがつながって、一連の詩を形成する。しかしそれは、この結晶を初めて見た子どもが、思わず口にするような言葉である。つまり、気取らず、装うようなことをせず、ただ人間の心から素直な感動として、スッと出てくるような言葉である。
 けれども、それはイマジネーションなしには出てこない。雪の結晶が、集まると、やがて大きな雪山にまでなることを思い描いている。
 それは、お金には換えられないものであることが告げられると、大人はどきりとするだろう。子どもたちに必要なものは、お金では買えないのだ、と教えられるようだから。
 真ん中あたりで、「だれがきめたの このかたち」という問いが投げかけられていた。だがそれは、この本自らが答えを示している。終わりの一つ前で告げられる。まさにこれは、「かみさまからのおくりもの」なのである。この見開きだけ、一頁に結晶一個というルールを破って、見開き2頁のほぼ中央に、上下をはみだしつつ、巨大な結晶が迫ってくる写真となっている。まるで、神が一人であることを暗示するかのように。
 ただ、結晶もまた被造物である。それ自体が永遠のものではない。最後の写真は、だんだん小さくなって解けていく様子が示される。しかも、言葉は「かなしいな」「あっというまに とけちゃって」と、終止形で終わらず、倒置によって余韻が残される。この悲しみの後に次の言葉を続ける仕事は、読者である私たちに任されている。
 写真を撮影した吉田六郎さんは、すでに生涯を終えていて、その子である吉田覚さんが父の作品を紹介する意味もあって、この本で構成し、また最後に解説を加えている。そこには、もちろんあの中谷宇吉郎博士のことにも触れられている。このひとを、雪の結晶の話から外すことは、できそうにない。こうしたことを考えると、最後のメッセージである「あっというまに とけちゃって」の中に、私は、人生を見てしまうのだが、もちろん、それだけで終わらせる必要もあるまい。
 なにしろ、この本に書かれている言葉より遙かに多い言葉で、ここまで感想を綴ってきたほどである。小さな絵本が、無限の世界の扉となっていることは、このことからも簡単に証明されるような気がしてならない。
 そして、題の「きらきら」。この言葉は、この詩の中には、「きらきらかがやく かみさまからのおくりもの」という箇所にしか出てこない。このことが、私に大いなる喜びと希望を与えてくれたのも、確かな事実である。




Takapan
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