本

『生のみ生のままで』

ホンとの本

『生のみ生のままで』
綿矢りさ
集英社
上下各\1300+
2019.6.

 上巻は触れた手と握った手、下巻は横たわる二人の脚。単行本の表紙だけですでに悩ましい。よくぞこれを持ち歩いて電車の中で読んだものだ。
 女性同士の恋愛。百合などといいマニアも多いが、興味本位で読むようなものではない。ぎゅっと切ない心を感じることなし、ラブシーンばかりに興味津々で臨んだとしたら、この二人を迫害する心ない人物のひとりとして作品の中で、テーマの敵となってしまうことだろう。
 逢衣(あい)と彩夏(さいか)の二人の物語を、ひたすら逢衣の視点で語っていく。逢衣の内面は自分の感情や感覚として描かれていくが、彩夏のほうは逢衣の側から見た捉え方となる。二人の恋愛をこの視点で通したというところに、まず敬服する。ぶれずにこのポリシーを守ったことで、この作品の魅力が倍増したと思う。彩夏のほうは、かなり理解しがたい存在でもあるのだ。これを、理解しがたいものとして描ききったというわけである。
 話を紹介すると、ネタバレとなってしまうが、ある程度はやむをえない。婚約者同然の同棲していたパートナー颯とのバカンスの場で出会った、颯の旧友とその恋人。しかしその女性は、ずいぶんと愛想が悪く、逢衣を睨む。しかし、それは別の意味があったことが後に分かる。
 この女性が彩夏であった。彩夏は芸能人。といってもこのころはまだ知名度も十分でない。これら4人がいわば仲良しカップル同士ということで楽しく遊ぶのだが、雷に見舞われその中で二人はまず接近する。連絡を取り合った後で、この二人だけが会う機会があり、逢衣は彩夏に好きだと告白される。まさか。だが、初めて見たときにどうしようもなく惚れて仕方がなくて、無愛想な顔をしていたというのは、嘘ではない様子。颯と具体的に結婚式の話まで出て来た段階だったのだ。逢衣は一旦は振り払うが……。
 二人は愛し合うようになる。まず彩夏がその彼と別れ、逢衣も颯に別れ話を切り出す。二人が愛し合うようになったということが打ち明けられ、険悪なムードで4人が話し合うが、決意は固い。そして二人が暮らし始める。
 彩夏は芸能活動が順調に運ぶが、芸能人故に、もしこのことが知られたらスキャンダルとなる。上巻の終わりで、それが現実となり、二人は別々の時間を長く過ごすこととなる。そして下巻で、その疵が回復するためにゆっくりとした時間が流れていくことになる。
 性愛の場面も生々しい。もちろん、それは下品ではない。というより、美しい。作者が女性であるだけに、知り尽くした自分の体を最大限に生かし、描ききっている。おそらく女性が読んでも、いや女性が読むときこそ、これらの言葉が体の髄からしびれて共感することであろう。
 しかし、そうした場面に囚われていると、この物語のほんとうのおいしいところを見逃してしまうだろう。もちろん、昨今のLGBTをどう認めていくかという社会問題を踏まえている。しかし、これを差別問題を主軸にし、権利を勝ち取る物語にしてしまったら、おそらく何の魅力もない小説として埋もれてしまっていたであろう。そこはこの最年少芥川賞作家である。常々視点の鋭さを世に示し、恋する心について読者に新たな世界観を提供していると言ってもよいほどの活躍を続けているその人気にはやはり理由がある。興味本位でもないし、社会小説なのでもない。二人には、ピュアな形での突破口が確かにある。
 にも拘わらず、物語の冒頭にある、謎のフレーズを心に引っかけておいて戴きたいのだ。これが最後にきちんと解決する。いや、それは文芸手法としての解決なのであって、二人の間でそれが解決したと決めつけることはできない。二人はさらに未来を生きていく。そしてさらにその未来の先には、永遠があるというところにまで、物語は道を続かせているということを、心に留めたいのだ。
 物語には、7年間のブランクがある。7は聖書では完全数だ。聖書を意識しているかどうかは知らないが、作者は他の作品で聖書を登場させることもしたことがあったはずだ。もしそこにこの意識があるのならば、何かしらの暗示があると捉えてもいいのかもしれない。尤も、聖書では7に足りない6を以て、不完全な存在を意味するから、ブランクは不完全なものであるとして、私なら6年としただろう。
 話が逸れてしまった。この永遠への眼差しと、それがままならぬ人間の切なさ、しかし生きていることの証しとしての、心の求めるままに、他のあらゆる縛りにも打ち克つように前進しようとする生き方を、私たちは羨ましくは思わないだろうか。相手の体をも、知り尽くすという側面と、相手の心は知り尽くし得ないという側面とのバランスの中で、やがて相手の中にも自分を見出していくという歩み、それは「やがて君になる」のタイトルによって同様に心を描ききったコミックスとも重なるようなものを私は強く覚える。百合ものと呼ばれる分野の求めるところは、もしかするとそういうものの見方を大切にする領域なのだろうか。
 美しい物語である。但し、電車の中で開くときには、表紙の扱いと、他人の視線にご注意を。人の目を気にしない生き方を求める物語であっても、読者にまでそれを強要する権利は誰にもないのだから。尤も、私はもはや平気であった。




Takapan
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