本

『希望する力 生き方を問う聖書』

ホンとの本

『希望する力 生き方を問う聖書』
佐原光児
新教出版社
\1300+
2019.3.

 ティーンエイジャーのため、しかもキリスト教系学校の「聖書科」のテキストとしてつくられた本のようである。若い人への呼びかけで始まり、聖書を、型どおりではなく、その内容を伝えるために読みやすく編まれたものであるように見えた。
 そうした「入門書」なのだ。私は、そのように舐めていた。ところが、開いて読み始めると、そうした見通しをもったことを後悔した。申し訳ない気持ちに包まれた。
 確かに、「聖書科」のテキストなのだ。だが、そこに説かれたことや、聖書の理解や読み方といったものが、実に深いのである。説明の仕方も含め、目から鱗が落ちるような思いに、何度襲われただろう。たくさんのことを教えてもらった。
 学説について、気取った書き方をすることなく、「このような解釈がある」などというように、幾つかの読み取り方が並べられ、特にこれを信じろ、というような口調はまるでなく、読者がどう受け止めるか、を待っているように見えた。それは、聖書はこのように書いてあり、たとえばこのような理解をすることができるのではないか、と提示され、後はあなたがどう受け止めるか、そこからあなたの物語が始まるのだ、と言っているようなもののように感じられた。そのために必要なものがたっぷりと集められている。聖書のエッセンスが詰まっている。
 それは、私たちの現代社会と、ここに置かれた情況という足場から見える景色の中で、十分理性的に向き合えるものでもある。神秘的な体験を求めるようなこともなく、一般的な教育の中で、そして若い人々が見聞きする世界の出来事の中で、考えなければならないことや、私たち一人ひとりが抱える心の問題と、すぐさまリンクする事柄である、ということである。
 なんと優れた聖書についての解説だろう。否、聖書そのものが私たちに迫るときの問題のようなものを、こうまでも鮮やかに言語化できるものなのだろうか、と感動すら覚えるものである。
 内容を、項目だけ概観することにする。
 まず「キリスト教とイエスの基礎知識」から始まる。キリスト教を「イエス」だとするところが、実のところ信仰告白である。礼拝や祈り、信じるということから聖書というもの、そしてイエスその方について詳しく見てゆくことになる。
 次に「生き方を考えるイエスの言葉」というタイトルの章があり、そこには新約聖書の有名なたとえや教えが八つ置かれ、それぞれの内容と解釈、また受け取りたい意味などを語ることとなる。ここに、私から見てもハッとするような指摘が数多く見られた。長くキリスト者として聖書に触れてきた方も、必見である。「100匹の羊」や「善いサマリア人のたとえ」、「放蕩息子のたとえ」や「タラントンのたとえ」など、キリスト者で知らない人はいない有名なものばかりであるが、読んでいて次々とインスピレーションが与えられる気がするのは、決して私だけではあるまい。
 それから「創世記から浮かびあがる命と生き方」と題して、創世記を舞台に、創造の記事が、「歴史」としてどうかと問題をもつより前に、世界観や人間観をそこから学ぶことに中心を置くようにしているように思う。最後に「空を見上げる人として」という、謎のタイトルがあるが、これはアブラハムが天を仰いだことに基づいている。大きな視点で世界を捉えることの勧めのようになっており、しかも「信仰」ということの中に、「自分をたしかにしていくこと」を見出すのは、安っぽい説教とは訳が違う姿勢であり、そして胸に刺さる。ちゃんとそこに脈絡があるので、じっくりお読み戴きたい。そこにおいて、「人間」のギリシア語「アンスローポス」という言葉の意味に、「顔を上へ」向けて生きる存在だと考えることは、新たな教えられるものだった。
 最後の章は「現代の諸問題と聖書」となり、聖書を基にしているとはいえ、広く宗教から倫理の領域を示しているものと思われる。正に「空を見上げる人」であるからこそ見える景色であるというところだろう。カルト宗教の問題から、病や苦しみの意味、人間の尊厳から多様な性、人種差別の問題も捉え、そこから平和と希望というゴールへと向かって筆の勢いが増す。本書の題にある「希望」が輝いて終わるのだ。
 しかし、その「希望」は、果たしてそれが善いものであるのかどうか、その検討もなされているのだから、心憎い。この検討は、十分に哲学的である。そして「平和」については、いわゆる「抑止力」がもたらすのは「平和」ではない、という強い主張には、説得力があった。そもそも聖書の中に、戦争は絶えないものであった。神自身が戦争を促しているという記述も多々ある。だが、私たちは私たちの世界で、聖書が思い描かせる「平和」について考えなければならない。
 本書は、心の道徳や「愛」について多くを問うものではない。個人の気持ちの中で考えるべきものに終始しない、ということである。それは、ひとつ間違うとただの自己肯定に終わるか、逆に自己否定を招くことになるかもしれない。もっと「私たち」というレベルで、つまり社会や世界という領域で考えるべき問題を視野に、しかしそこに確実に属する自分という「私」の生き方や考え方を問い直す、絶好の機会を与えてくれる。
 あまり知られていない本だと思う。学校内だけで終わらせるのはもったいない。教会の読書会にも使われてほしい。キリスト者も、大いにここから学んでほしい。そのために、微力ながら、ここで宣伝させて戴こうと考えた。




Takapan
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