本

『イエスの言葉 ケセン語訳』

ホンとの本

『イエスの言葉 ケセン語訳』
山浦玄嗣
文春新書839
\819
2011.12.

 ケセン語と名づけられたこの方言は、実は世界的にかなり有名になっている。それは、この山浦氏の故である。気仙沼地方も無縁ではないが、むしろ岩手県の陸前高田から大船渡あたりが中心であるらしい。詳しいことは、関心のある方が詳しく調べて戴きたい。とにかく、関東の言葉とはずいぶん異なる文化の中で、つまりしばしば虐げられ、夷狄の一部として疎外されてきた人々の愛した言葉であり、どこか温かみのある、思いやりにあふれた言葉であるように今は受け止められるように感じるわけで、その言葉で聖書が訳されたのである。これは、実に聖書の文化を深く捉えたものであったと認められている。というのも、ガリラヤという地域は、中央のエルサレム、ユダヤ地方からすれば、まさに東北の位置にあり、扱われ方もそれと比較可能なものであると見られるからである。
 最近は、ケセン語だけでまとめられた聖書をさらに超えて、幕末あたりの時代を想定し、様々な方言が飛び交うようにして、福音書をまるで活劇のように描いた聖書の翻訳にも著者は挑んでいる。もちろんイエスとその弟子たちはケセン語を母語として活躍している。その面白さはさておいて、今回この新書であるが、イエスの言葉を断片的に取り上げて、38の章に分け、そのケセン語による訳と、何故そのような訳語にしたか、その聖書の背景をエッセイ風に語っている、ひじょうに読みやすい構成になっている。しかし、その内容はけっこう辛辣である。時に、聖書の読み方としては少々乱暴ではあるまいかと危惧するようなところもある。だが、個人の意見は個人の意見としてきちんと提示しているので、聖書をこれから学ぶ人が大きく誤解する虞は少ない。むしろ、人々の生きる「地の民」、つまり当時下賤なものとして扱われ、律法を守ることもできず最下層に見られていた多くの人々の立場からの視線を絶えず意識し、そこに投げかけられたイエスの言葉が、本当に生きる力を与え、希望を見いださせるものであることを、読者にも実感できるような語り方で次々と示すので、聖書の言葉が確かに生きてくるように紹介していく。それは、やはり聖書の言葉の適切な説明であるとも言えるものである。聖書を神学の形式にあてはめ、思弁や論理でばかり説くとなると、まさにイエス当時のファリサイ派の律法主義そのものではないだろうか。パウロが忌避した悪辣な思想であるとも言える。
 山浦さんは、ギリシア語の丁寧な釈義を行っている。この小さな新書の中でもそうである。そのため、ギリシア語に通じていなければ理解は完全ではないかもしれないが、それでも誰でも読みやすく工夫しているのは間違いない。ギリシア語の元来の意味、その使われ方などを挙げ、従来の公的な聖書の訳語では、あまりに型どおりでもあり、また気取っており、イエスが庶民に語りかけた空気はまるで感じられない、というふうな意味のことを語る。無学な人々に分かるような話を、イエスはしたはずなのである。それが、「信仰」だの「義」だの、解説を施さなければ意味が理解できないような用語でばかり聖書が訳され、その意味を知るのに、かなりの勉強が必要になるような現代の事態は、聖書の精神とは違うというのだ。
 まことに痛いところを突かれた。それはその通りだ。問題はイエスと出会い、イエスに助けられることだ。神学用語の羅列が必要なのではないはずだった。
 この本は、2011年の年末に発行されている。原稿がいつ書かれたのかは分からないが、夏前後ではないかと思われる。そう。山浦さんの医院も被災した。幸いそこは全壊には至らず、診療所として被災者の救護のために春からは休みない働きの連続となった。無惨な瓦礫と化した被災地を日々目の前に見ている。この中で、どんな希望が与えられるというのか。何が大切であったのか。否応なしに迫られる。だが、彼の信じるイエスは強い。生きるエネルギーを必ず与えてくれる。それは死んだ者のための福音ではなくて、生きている者のための福音であるのだ。
 本文の最後に、イエスが山浦さんにかける言葉が記されている。ここでそれを引用するのは差し控える。安易にその言葉を弄ぶ気にはなれないからである。この本に触れ、最初からイエスがどんなふうに人を助けていったのかを辿った後に、最後に、その個人的なイエスの言葉を、山浦さんと一緒に、読者の皆さまも聴いて戴きたいと願うばかりである。
 私も、2012年を、この本の中の言葉で、支えられて歩き始めている。




Takapan
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