本

『権威なき者のごとく』

ホンとの本

『権威なき者のごとく』
フレッド・B・クラドック
平野克己訳
教文館
\3200+
2002.6.

 タイトルが意味深長に聞こえる。さらに副題に「会衆と共に歩む説教」ときた。これで、何事かと首を突っ込むか、よく分からないと敬遠するか、そこで道が分かれよう。本の帯には「神の言葉を新しい言葉で!」と掲げ、アメリカの1970年代の教会の危機の中での本書の提言が、説教学を変えたと伝えている。これは現代の古典である、と言い切る。なんとも大袈裟な、とは思うが、これは事実そうなのだと思う。
 ドイツの説教学を究めた加藤常昭氏が、日本の説教学を憂い、説教を見直しそこに命を吹き込むことを生涯かけて提言し実践して来たわけであるが、その意図を汲み、またそれをドイツだけでなくアメリカの説教とを結びつけることに尽力しているのが、役者の平野克己氏であるといえる。
 すでにこの時代から四半世紀を数える中、むしろ日本もそのくらいの時差で以て動いているという意味では、ちょうどよい邦訳であったのかもしれない。しかし私がこれを読んだのは2018年。その間、日本でこの本が力を得て大いに読まれたという形跡はない。えてして、説教の世界的現象などには、日本の牧会者は関心があまりないようにさえ見える。日本人同士の教会や牧師の付き合いの中でにこにことしていればよく、あるいはそこで異端的な声を挙げたら弾き出すというふうにして、より一層仲良し倶楽部の様相を帯びていく――などと言ったら、お叱りを受けるであろうか。
 神の言葉としての説教へ迫る。この真摯な問いは、ひっそりと続いている。その中で、本書はアメリカを変えたという。だがそれは、日本で言えば仏教が息を吹き返すような現象であって、社会や文化の中でいつしか飽き飽きとされてきてものに命が宿るという環境に於ける出来事である。ここにある例がそのまま日本の教会で役立つかというと、確かにそれは違うだろう。その意味で、日本でスルーされたのは仕方がない。しかし、2018年現在でもなお、スリーポイント説教は生き残っており、ベテランの伝道師や講師はしばしばそのように語る。その演繹的な説教は、案外日本の座学の伝統の中で、さあ師範よ教授し給えという構えの中では、合っているのかもしれない。
 しかし、若い世代は違う。特に教育界が大きく変貌している中で、教会がかつての修練の色彩の中でなされた人生論的説教に価値観をもつばかりであったら、間違いなく教会は死滅する。礼拝が礼拝でなくなり、説教は捨てられるだろう。バーチャルな空間に教会が移項して、まるでどこかの新興宗教のように、書物と映像の宗教になりかねない懸念がある。
 本書は単純に言ってしまえば、帰納的説教を提唱する。至ってフランクな語り方で、しかし時に辛辣に、従来の説教が何をアメリカにもたらし、説教を退屈させてしまったかに言及する。そして、説教者自身が問われているという場を認識する中で、説教者がまとめあげた論文を上から振り下ろすような従来型の説教ではなく、説教者が導かれ、自ら見出していったのと同じ過程を講壇で物語り、神を見出し神と出会った経験を会衆と分かち合う、それが説教として相応しいものになっていくのだと提言する。すべてを言い尽くさなくても、後は聴衆一人ひとりが想像力を働かせ、あるいは心に感じ、それぞれに結論を下すということを、説教者はただ待てばよいのである。
 そこには、上段に構える権威のようなものは微塵もない。そして共に地上を旅する一人となって、会衆の一人ひとりが自ら、目的の地へ到達する営みが、礼拝の場となるであろうと説く。そこにこそ、命の言葉、神の言葉が語られている現実が生じるのである。
 私自身、語るとすれば、実のところこの帰納的説教に近いと思う。ポイントをいくつかに絞ってまとめあげるのは苦手だった。共に聖書の謎を解きにかかるように話を導いていくことが私のモットーだと思っていた。時にもったいぶった言い方をするし、そのための予備知識は十分に提供していく。だから、伏線や仕掛けは十分にする。教師の授業に少し似て、どうしてもここへ合意させたいという目的はもっており、そのために演出めいたことをする点で、本書のような形を徹底しているわけではないだろう。しかし、できる限り身近なところから、しかし聖書の中の出来事と重ねながら、聖書の言葉の真意と出会いに行くトリップを計画するという流れは、帰納的説教と遠いものではないかと思っている。
 帰納的説教。最後にはこの説教例で幕を閉じる本書であるが、実は私はすでに、本書の仕掛けに気づいていた。この本そのものが、演繹的に構成された構造をもっておらず、この帰納的説教を見出すまでのプロセスを筆者が読者と共に探すような、帰納的論考となっていたのだ。その意味では、読了後、導かれてきた道を振り返るとよい。方法論を提供するのではなく、実地訓練を以て、神の言葉と出会う経験を味わわせてもらった時間を胸に抱くとよいと思うのである。




Takapan
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